制作中の作品のように、人形と人物を競演させるのは、主役が動かない分、脇役である人物に動いてもらおうとまず考えた。 片手にカメラ、片手に人形を持って撮影していた頃は、様子の良い通行人を待ち受けては背景に入れることをよくやった。極端な例だが、永井荷風の背景に、通りかかったルーズソックスの女子高生を入れてみたら、『俺に寄るな構うな』という顔をした荷風の表情が、ちょっと変わったように見えた。人物と出会い頭に撮影したかのような空気が欲しいので、三脚を立て、準備万端整えていては主役が動かない分感じがでない。古いレンズを使用したり、時にブレたりピンボケ、その他、様々なハプニングを積極的に期待し、不確定要素を作中に加えようと努めた。 一時期大型のカメラでの撮影を試みたが、じっくり撮影する大型カメラの使用は成功したとはいえない。そもそも50センチ程の人物を大型カメラで撮るということは、人間でいえば超巨大なレンズとカメラで撮ることになるわけで、素材感のこともあり難しい。 背景としてではなく、人形と人を共演させたのは画像合成をするようになった江戸川乱歩からだが、脇役の人間が動く分、主役の乱歩は一つの表情で常に他人事のような顔をしているのが面白かった。 制作中の作品では人形と直接共演する場面は少ないが、出演者は素人の方々なので、それこそ人形を撮影するように、全部指示通りやってもらうつもりでいたが、一回目の撮影で、これも三脚そなえて撮るような被写体ではないな、とすぐにピンと来た。そこで河童に化かされ踊らされてしまうシーンなど、参考になりそうな神楽舞のサイトのアドレスを皆さんに送り、あとは注文を付けず任せてしまった。撮影現場では、それぞれ予習をしてきたことを、出演者同士話し合う様子を眺めながら、私はただ笑っていた。これで私の意のままに作られ意のままのフレームの中に、たまたま通りかかったルーズソックスの女の子のように、私のコントロール外の不確定要素が導入された。こうやって作者の私の眼にも物語は動き出したように見えてくる。 そして先日も漁師役の二人に、私の辞書に載っていない表情をされてしまい、おかげでそれを生かすべく、場面を増やすはめになりそうなのである。
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