明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝寝ぼけ眼で『貝の穴に河童が居る事』を読んでいて一気に目が覚める。 房総で撮影してきたカ ットをもとに作った風景の間違いに気付いてしまった。人を妙な世界に引き込むテクニックは鏡花が日本一だと思っている。二つの場面を平行に進めながら、あっちへ行ったり戻ったりすることがある。同じ時間として描いた部分を、数分の時間のずれがある、と解釈してしまった。数分とはいえ、イメージ上ではかなりの変動がある。時間にずれがあるのだから、この道はここにこうでなければならない。と作った。このカットだけならまだしも、この風景が遠方に見えたり、その道筋からいって、この辺りは当然こうであろう、など、その場面の影響が大きいのである。いったい全部で何日かかったであろうか。鏡花の文章から、見逃さないよう解析して場面を制作していたつもりが、寝ぼけ眼のおかげでかえって鏡花の妖術が素直に入ってきたということであろう。つくづく読書はただ楽しみでしなければならない。 参ったなァ。仰向けに大の字に寝ころがったところで、外壁補修の業者のおじさんとカーテンの隙間ごしに目があってしまった。“判ったよ。今日はロクなことはないだろう。止めた。 ギターの糸巻きの部分、ペグを付け替えることにした。ビンテージといえば聞こえが良いが、かなりボロい。しかし入手した部品は、ギターヘッドに左右対称に3つずつ取り付ける用で、一列にならんでいるギターには3つしか取り付けられない。判ったよ!今日は何もしない。
K本は本日常連で過ごす、恒例のお酉様である。昨年どこかのサラリーマンが、見たこともない連中を大勢連れてきて常連の座る席がなくなった。女将さんはそれを心配していたが、今年は酔っ払いも返し、無事納まった。 娘の同級生に、森鴎外の直系の娘がいる、という人がいたので、ひょっとしてお母さん?大昔の『月刊太陽』の鴎外、漱石特集のグラビアに、鴎外の孫娘が写っているのでわたす。アヒルをペットにしていた。鴎外以降、そこらにある名前をつけないのは一族の伝統のようである。 某町内会の若者二人。フンドシ一丁の撮影日が決まった。おそらく今頃、180センチ超と190センチ超の二人、ひまを見つけては腹筋や腕立てをやっているだろう。それならば撮影の直前、寒いことでもあるし、バンプアップタイムを設けることにしよう。ボデイビルの大会では直前に筋肉を酷使し、一時的に筋肉を膨らます。三島も取材の前には必死でやっていたのは間違いない。それが何時間保つのかはしらないが、ある程度もつのだとしたら三島は市ヶ谷行く前に“最期の仕上げ”をしたことであろう。出かける直前、村田英夫に紅白連続出場のお祝いの電話をしたくらいだから、そのぐらい余裕である。

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