年も暮れてくると、これで一献シミジミいこう、と出してきては止めるのがこの小ぶりな徳利である。一応久保田万太郎作、ということになっている。表面に先の尖った何かで引っかくようにして書かれた『灰ふかく立てし火箸の夜長かな』。有名な『湯豆腐やいのちのはてのうすあかり』同様、これからの季節。独身者には沁みるような句である。私にはこの程度では効き目ないけど。 灰釉がかけられたこの作品。久保万制作と思えばなかなか。といいたいところであるが、何しろそれを越えて下手糞である。分厚くて、外側だけなんとか徳利っぽくはしたけれど。という典型的な素人作品である。中に満たされる酒の都合のことなど考えもせず、外側の様子しか頭にない。私は陶芸作家を目指した時代もあるから、下手糞ということに関しては素人の域を超えているのである。 どこかの窯場に出向いたおり、ちょとひねってみた、というところか。こういう場合、窯の親方だか作家が、後から手を加え、体裁を整え焼いて完成させるものである。しかし久保万先生本人はなかなか良い出来、と思ったかどうか、気分が良くなって一句書いてしまった。窯の親方は、それを削ってしまうわけにいかない。何しろ出来が良いのは書かれた句だけである。よってロクロから切り離されたまま。ということになった。まあそんなところであろう。ただの一般人が作った物ならまだしも、久保田万太郎作と思って手にする分、残念な気分が先に溢れてきて、ここに酒を注ぎ入れるに至らないのである。シミジミしようがない。 今年は年越し蕎麦の蕎麦汁を入れてみようか、とたった今思った。いくらかましかと思うが、残念な気分には変わりはないであろう。
東京大学総合図書館『鴎外の書斎から』森鴎外旧蔵書展終了。 軍医総監閣下無事帰宅。
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