明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝から曇り空。設定は梅雨時の暗くなりかけた夕刻である。漁師役の二人は寒くて申し訳ないが、画としては絶好の日和である。今回の作品は制作中、イメージどおりの天候に出くわす確立が極端に低く、今日のようなことは珍しいのである。Mさん宅に集合し、私が用意した赤いフンドシに着替えてもらう。神輿担ぎでフンドシには慣れている。二人のうちの一人は、始めにMさんが町会の若者で誰かいないか、相談してくれた若者で、顔が良いので、そのまま出てもらうことにした。Mさんを子供の頃から知っていると聞いていたので、撮影の前に、Mさんがこのぐらいやってくれたのだから、とMさんの名演技を見せた。少なくとも神妙な顔をして演ずる作品でないことだけは、伝わったであろう。 二人には巨大魚イシナギを丸太で担いでもらうのだが、めったに獲れないというイシナギはすでに撮影済みで、様々な場面で登場してもらっている。今日は特に物語の冒頭の重要なシーンである。獲れたイシナギを村に運ぶ途中、神社の階段のふもとで河童に出くわし逃げ出してしまう。恐る々引き返してくるが、河童の姿はすでにない。 マンションの駐車場に移動。合成のために切り抜きやすそうな塀の前で演技をしてもらう。もともと仲の良い二人だけに、楽しそうにやってくれた。見ず知らずの二人にフンドシ着けてもらっても、素人では、この雰囲気は出ないであろう。  今回身近な素人に出演してもらっているが、誰一人としてカンの鈍い人はおらず、簡単な説明の後は、それぞれが自分で考えて演技をしてくれる。私がああだこうだいうより、任せてしまった方が良い場合が多かった。これは嬉しい誤算であり、おかげで今日もファインダーを覗きながら、まるで房総の漁師そのもののリアルさに笑ってしまいながら、あっという間に終わった。念のために、とか押さえに、などとグズグズ撮影していると、その了見が集中力を阻害するだけでなく、すでにカメラに収まったカットもカメラの中で腐る。というつもりで撮影に集中した。

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T千穂にてSさんとスタジオを借りる件について話す。音楽的に低レベルの二人である。お互 いの指先をチェックして、ギターを弾いてどのぐらい硬くなっているか等、まるでギターを弾き始めた中学生である。練習している時間なんかないですよ。Sさんはいう。労働時間を聞いて、高額なギターを買い、弾かずに満足している気持ちも判らないではない。本日の新聞にSさんの会社が社員が過剰な残業を苦に自殺して訴えられていたくらいである。退職届を三回出しても無視されたらしい。この件に関して、周囲はどこでもみんなこんなことしているのだ。という反応であ った。 趣味も違う下手糞同士、事前に話し合ってやる曲など決められない。まず好きな曲をお互い1曲決めて、相手にこんな風にバックで弾いて欲しいとレクチャーしよう、ということになっていた。何か決めないとやりようがないからだが、今回参加できないYさんは、ベンチャーズ好きで、インストバンドをやりたいといいながら、早々に自分はベースにまわる。と宣言している。となると主となるリードギターは100万円のギターを持っているSさんになるはずであったが、彼は先週4000円もする『TOTO』のTAB譜を買ってきた。TOTOなんてほとんど聴いたことがないし、何をやらせるつもりだ、と思っていたら、本日、あれはただ買ってきただけだ、という。私が思うに、先週より若干指先が硬くなっていたから、試してみて早々に挫折したとみた。 ほんとに下手糞で弾けませんから。というが、だからそれは判っている。ギターで一番こだわっているのは弾くことでなく、使われた材であり、希少な木材を使っている、というサンタナモデルだかなにかを買って弾かずに置いてあるといのであろう。毎日重い荷物を運んで指が動かないのも随分聞いた。 やる曲決めたらコード進行とか教えてよ、というと真面目ですね。うるさいことをいうな、という顔で、そんなの感覚でやれば良いじゃないですか、と訳のわからないことをいう。お互いそれでやれるほどの腕があれば話しは簡単なのである。一緒に何かやりましょう、といっているのにその調子じゃ君は一生独身だな。 私はバックでブルースの3コードを弾いてくれさえすれば良い。ビザールな日本製ギターの枯れまくった音を大音量で弾いてみるのが一番の目的である。スタジオは40人のコーラスが適当という広さらしい。幸いお互い自分のアンプも試したい、と二台持ち込む。なんならスタジオの端と端に分かれて勝手にやったって良いんだぜ?そうさ俺も独身さ。

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