自分で制作した像を自分で撮影する面白さの1つに、顔が拡大されることがある。十字路で悪魔と取引したといわれるロバート・ジョンソンを作った時のこと。この人物は長らく写真が発見されず、レコードジャケットは常にイラストであった。昔写真が発見された、と雑誌に一カット載り、そのガセ写真を元に、どこの馬の骨ともしれない男を途中まで作ったことがあったが、後に発見された写真は、さすがにクラプトンやストーンズがレパートリーにした曲の作者であった。片目に白い濁りがある、という証言とも一致していた。この人形はかなり小さめで、帽子の下の顔の部分は5センチほどのものだったが、接写レンズを使って撮影してみたら、私が意図していない表情をしていた。作者が想定を超えた意思を持って(写った。といったら良いだろうか。悪魔と取引をして演奏技術を身につけた。といわれるくらい急に変わったらしいが、そういえば十字路で悪魔を待っているような顔だ、とさらに撮影した。こんなことが起きるのなら写真を撮影する意味がある。以来、こういうことが起きるのを心待ちにするようになったし、起こしやすくする工夫もしている。 今回、河童の三郎は、どうしようもなくダメな妖怪、というつもりで作っていたが、つい先日。柳田國男の翁に人間どもに対する仇討ちを願う表情が、撮ってみたら、私の想定以上の真剣さで、“お前、その顔違うだろ?”なにしろ娘の尻を触ろうとして怪我をしている。その仇討ちを願い出るには表情が純真過ぎると思ったのである。しかし考えてみたら、馬鹿だからこんな顔をするのだ、と思い返したのであった。妙な話であるが、自分で作った三郎に教わってしまった。
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