明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



何かに化かされたか、しゃもじやすりこぎを持って踊りだしたり、妙なことをしてしまうので、これは神様に障ってしまったのかもしれない、と笛吹きの芸人、その女房と連れの娘三人が、奉納の踊りを踊る。それを見た河童は喜こび、すっかり機嫌をなおし郷に帰っていく。その逆転があまりに急で、それまでのペースからすると、鏡花が残りの紙数が少ない事に急に気づいたのではないか、といいたいくらいである。 人間に腕を折られた河童の三郎は、娘のふくらはぎを思いだす時こそ楽しそうだが、あとは終始、人間に対する仇討ちに執念を燃やしている。それがここで一変する。もっともただの人間同士の喧嘩とは違う。その踊りも、人間が信心深いからこそ三郎に効果があり、姫神も許してやれや。ということになるのであろう。神様に守られた人間達という事情が大きく作用する。よって大逆転の場面は雷に打たれたようなインパクトが必用であろう。そうでないと、直後に水に流した三郎を穏やかな表情で郷へ返してやれない。 このインパクトが必用な場面を、見開き2ページで描く方法が見つからないまま後回しにしてきたが、ようやく形が見えてきた。ここで使うつもりだった太鼓を叩くウサギ。昨日暑さのせいで撮影ができなかった。撮影に使わなかったら、こんなバカバカしい物はない音の出ない太鼓は、もうひと場面、使えるカットがあった。私はウサギが撮れなくて良かった、と思うまで、後悔の種は潰しておくことにしている。

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