明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日裏表紙の画像を作った。そして本日、ようやく肝心の表紙である。水に胸まで浸かりながら某俳優なみの、母性本能をくすぐる表情。かどうかはともかく完成。本日は表紙その他、後書きも含めてほぼ完成形に持っていく打ち合わせである。確かめることがあり、事前に編集者に電話する。裏表紙の話になり、あまり濃くしないよう釘を刺された。私を良く知っている。三郎がかなりの目力でこっちを見ている。たしかに裏表紙でこれはキツイかもしれない。話の舞台は房総の海辺だが、三郎の本来の住まいは印旛沼あたりの沼である。静かなせせらぎなど、もともとそんな風景写真を考えていたくらいである。急遽こっちを見ていないカットを用意した。おかげで予定より1時間遅れて風濤社へ。ここまでくると、ちょっと見にはどこを変更したか判らない程度の修正になってくる。そして表紙である。 私には頭のどこかに予感があった。たびたびそういうことがあったからである。つまり、私がここにはこの作品だろう。しかしこんな物もある、というと、こんな物の方が良い、といわれることである。えっそっち?だったら持ってこなければ良かったという話だが、頭のすみにこっちもあるかな、というのがあるのである。そして本日は裏表紙用に作った、こっちを見ているバージョンが表紙に良いという。えっそっち?編集者の客観性にまかせるつもりでも、さすがに俄には納得がいかない。なにしろ表紙用に考えた、とっておきの作品が没になるからである。そこで帯を含めてプリンターで両データで2種作ってもらい並べる。どっちでもいいや。納得すれば切り替えが早い。明日、一応営業の意見も聞いて見るとのことであった。

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