明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



撮影しなければならないカットは表紙と裏表紙。もう1つは物撮りの見開きページである。文字の下地的な扱いのイメージカット。先日撮ったが物足りなかった。 作中、河童に化かされた三人は、シャモジ、スリコギを持って街を踊り歩いてしまう。おかしなことをしてしまった、という女房と連れの娘に、全国を旅した笛吹きが、私はそんな祭りを観たことがあるよ。とウンチクを語る。『青いおかめ、黒いひょっとこの、いでたちしたのが、こてこてと飯粒をつけた大杓子、べたりと味噌を塗った太擂粉木で、踊り踊り、不意を襲って、あれ、きゃア、ワッと言うひまあらばこそ、見物、いや、参詣の紳士はもとより、よそおいを凝らした貴婦人令嬢の顔へ、ヌッと突出し、べたり、ぐしゃッ、どろり、と塗る……』(鏡花の文章は時にラップのようで、声に出して読んでこそのリズムがある。)これはおそらく、今でも愛知県に伝わる祭りであり、鏡花は実際に観たのであろう。ヒョットコの面を被った男がスリコギにつけた味噌やシャモジにつけた飯を見物客の顔につけて回る。スリコギは男根の象徴であろうし、実際、木製の男根に味噌をつけて踊っている画像もネット上にあった。よっぽど愛知県まで撮りに行こうと思ったが、そこまでやってはうるさい。祭礼鈴やシャモジ、スリコギその他によるイメージカットでいくことにした。そんな時、私の事情を露ともしらない笛吹き役のMさんから、昨日元大工の福耳Sさんが、家にあってもしょうがない、と持って来たという物を渡された。それはSさんが子宝に恵まれるよう祈願して3、40年前に作った木製の男根であった。こんなタイミングでこんな物が我が手に。あり得ない。ミミズクなど、どこへ行って撮影すればいいのだ、といっていたらごく近所にミミズク、フクロウのカフェができる。『誰だこんなことするのは?』思わず空を見上げたくなる。 Sさんお手製のブツは結局最後の最後に撮影することになった。今回のため入手したが、使う機会がなかった大正時代のソフトフォーカスレンズを使う予定である。

過去の雑記

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