表紙と裏表紙の撮影である。河童の三郎は常に濡れているが、水に浸かっているカットが1カットしかないので、せめて表紙は水に浸からせたいところである。本日も10数カットほどで終了。デジタルカメラを使うようになり、ますますカット数が減った。メカ音痴の私には、アナログ時代は本当に写っているのか、という心配があったのであろう。 帰宅途中、歩道脇の植え込みの中から尻尾を除けば4センチくらいしかない子ネズミがヨロヨロと出て来た。ヨロヨロといっても、死にそうというより生まれて間がなく、という感じで、私の前を行く。「なんだお前も出演希望者か?」道路に寝そべってもかまわないが、そうするほどには早足である。カメラを道路すれすれに下げて当てずっぽうで数カット。ほとんど画面からはみ出していたが、なんとか顔の部分が。即採用決定。 動かない被写体を主役に撮影している分、こうしたハプニングを画面に投入していく。参加いただいた素人役者の皆さんの場合も、私の意図していなかったカットの方をむしろ採用している。長く制作していて近年、ようやく思ったとおりの造形が可能になってきた。その分写真化する場合、思った通りでない要素を入れることにより化学的変化を起こさせる。陶芸でいえば、思った通りに作った作品を、電気やガス窯でなく、不確実な要素の加わる薪窯で焼く、ようなものであろうか。 夜T千穂に行くと知り合いのサーファーがいた。あんなことしているのに相変わらず白いな、と感心していると、某国民的女性歌手が私の河童をそうとう気持ち悪がって見ているという情報をくれた。そうでなくてはいけない。 私はかつて怪人二十面相を作ったとき、世間的にすっかり西洋紳士風イメージになっていることが不満であった。本名遠藤平吉。人一人殺せず、時に探偵団の良い子のみんなに捕まってしまうような男である。エロール・フリンみたいだったらおかしいであろう。 私は目が慣れてしまったが、潔癖性の泉鏡花が、絶対触れない河童にはなったであろう。さすがに表紙でハナ垂らしたり、ハエを止まらせるのは止めておくが。
過去の雑記
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