明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



念願かない、ようやく手掛けることができた異形の者。可愛らしいキャラクターになりがちな河童は、私が手掛ける以上、すくなくとも女性にカワイイなどとはいわせぬつもりで始めた。涙を地面に溜まるほど流しながら、ついでにハナを垂らし(三郎は垂らしたハナがやたら似合うが我慢して2カット。)かなり不細工に仕上がった。 これは以前も書いたが、柳田國男の翁と三郎相対する神社の境内のくだりを撮影していた時、土下座して翁に懇願する三郎をモニターで拡大してみたら、制作者である私が想定していなかった純で真剣な表情をしていた。私としては娘の尻を触ろうとして結果的にケガをした馬鹿な河童のつもりで作っていた。なのに拡大してみたら、私の演出と違う演技をしていたわけである。 ところが作者である私がグッと打たれてしまった。そうかそれもあるな。人からみて馬鹿なことでも、当人にとっては人生をかけた一大事ということがあるだろう。と自分で作った粘土製の河童に教えられた。そもそも私自信が周囲からそう見られている可能性がある。 私は制作中、河童の面相にいつのまにか入り込んでしまったのは、かつてのハリウッドの悪役リチャード・ウイドマークのつもりでいたが、真剣な土下座で懇願の一件以来、むしろ火野正平に見えて来て、出演者の女性からついに三郎を「カワイイ」と評されても、残念には感じず、『やはり男は真剣さが肝心なのであるな』。と思う始末である。 昨日ツイッターとフェイスブックにアップしながらブログに載せ忘れた、表紙のつもりで制作しボツになったカットである。やはり表紙はこれではなかったろう。この三郎の眼にはかつての火野正平的妖力を密かに封じ込めており、見つめていると女性は思わず手に取り(中身を確かめることなく)レジに向かってしまう手はずだったのだが。

過去の雑記

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