明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



町工場や廃炭坑など、さまざまな“撮影用部品”を探していたが、イメージ通りとはいかず、昨日その代用となりそうな物を思いついた。小さなそれを拡大して使おうというわけである。ヤフオクに複数出品されており、朝までかかって幾つか目星を付けた。なにしろガラクタであり二束三文である。完動品である必用はなく、ジャンクで充分。撮影効果を考えるとボロい方が良いくらいである。 今まで鳴らない破れ太鼓など一カットの為に、随分ゴミを入手してきたが、これでどこか遠くの廃工場などにロケに行かずに済んだわけである。それに「この場所知ってる」。なんていわれずに済むのが何よりである。カメラなど持つと、自分は安全な生活を営みながら、とかく腐ったような物を撮りたがるものである。それはともかく。 私はこうしてできる限り、有りもしないウソを作り飛ばして死んで行くつもりである。そう考えただけで物心ついた頃からお馴染みの快感物質が私を満たしていくのが判る。私はおそらく何か表現したいとか、残したいとか、そんなことより、まずその快感物質をむさぼりたい。その一心なのであろう。こんな生まれつきのことは私には全く責任がないと考えている。 制作を開始した人物は酔っぱらいである。何カットも撮影しようと思うと、少なくともほろ酔いと前後不覚状態の表情は必用であろう。先日も書いたが駄目人間のデータはもう沢山、というくらい私は保有している。であるからして、洗面所の鏡も見ないようにしているのはいうまでもない。

『世田谷文学館』展示中

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