明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



制作を始めた人物。それにしてもなんでこんなに鬱屈した表情をしているのか。ダゲレオタイプの場合、現在より露光時間が長い。よって子供や動物の写真はブレてしまって上手く撮れない。逆にいえばこの人物は、たまたまではなく普段からこんな顔だったといって良いだろう。私はこの人物が実際、鬱屈を抱えた人生を送ったことを知っているので、さもありなん、といった所ではあるが、わざわざ写真スタジオに出向いて撮影したのだから、チーズとはいわないまでも、なんとかならなかったのか。じっとしていようと思ったら、こんな顔になってしまったのだから、やはりこれが普段の顔なのであろう。 しかし肖像画の類いを見ると表情は穏やかで柔らかい。こんな時期があったのか、画家のサービスだったのか。この作家の10年ちょっと後に生まれたドストエフスキーは、写真を見ると目は虚ろで口は半開きで髭はすだれ状態。文豪のイメージとはちょっと違う。ところがやはり肖像画は文豪調になっている。私の場合も、ここで文豪然としてくれなければ画にならないので、ボクサーに付いたセコンドよろしく、気付のアンモニアを嗅がし、さらに闘魂を注入してみた。『偏愛記 ドストエフスキーを巡る旅』 しかし前にも書いたが制作中の人物は、これから私によってそうとう酷い目に遭うので、鬱屈した表情は好都合ということになる。始めから『オ願イダカラ、ソレダケハ許シテ』。という顔をしている。

『世田谷文学館』展示中

過去の雑記

HOME

 

 


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )