鏑木清方は東京市中で流行っていた絹地に墨、藍、代赭(やや明るい茶系)の三色を用い、顔には薄墨で陰影を施した肖像画を嫌い、肖像画に「そっぽを向くようになった」という。それが昭和になって「特殊の人間を出来るだけ内面的に深く究めて、伝記を書く気で画いてゆけば、肖像画もまたやりがいのある仕事となる」と一念発起して描いたのが円朝像だそうである。清方の画集を見て、圓朝と樋口一葉と“明石町”以外はピンと来なかった、というようなことを書いたが、私が清方の圓朝像を残された写真よりも、とああだこうだ書いているのも、清方が一念発起した作となれば当然であった。 “特殊の人間を出来るだけ内面的に深く究めて、伝記を書く気で画いてゆけば” は、私にも多少判る話で、特に“伝記を書く気で”という心持ちは今後パクらせていただきたいようなセリフである。
HP