仮に圓朝が團十郎をライバルと見なしていたとしたら、團十郎の声色や芝居噺をやっている場合ではなかったろう。團十郎の天覧歌舞伎の二年後には今度は自分が明治天皇の前で口演する。 圓朝の口演を速記した速記本が、言文一致体運動を推進することになる。坪内逍遥の「圓朝のように書いてみたら」というアドバイスにより、二葉亭四迷が『浮雲』を発表する。 圓朝は晩年現役を引退し、新聞連載などに集中する。そしてなにより自作が次々と歌舞伎化されていく。芸風から菊五郎が演じることが多かったようだが、九代目團十郎も圓朝作品を取り上げている。かつて芝居噺を演じていた頃、声帯模写をしていた役者が、劇聖といわれるようになり、自分が創作した作品を歌舞伎として演じる。これは格別なものがあったことは想像に難くない。と妄想する。 鏑木清方は自宅に原稿を届けに来た鏡花と自身の会合の様子を描いている。ウチには九代目團十郎がいる。圓朝と團十郎でこんなことも可能ではないか?しかも写真で。ここを笑っておかないとあと笑えるところはない。 圓朝膝に置く手以外ようやく乾燥に入る。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』
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