三遊亭圓朝の頭部、ようやく8合目というところだろうか。昔の人物はそもそも残された写真が少ない。さらに高精彩な画像が見られれば良いが、なかなかそうはいかない。高精細な画像が残されたおかげで夏目漱石の鼻は実は鷲鼻だ、と鬼の首を取ったように私にいわれてしまうのであるが。 普通見ることが出来る写真は、多くはコントラストの高い、中間調がすっぽ抜けたような画像である。その何もない所にどんな形状が隠されているのか、そこを推理するのが難しい。ちょっとでも角度違いの画像と見比べて想像する訳である。これは人間の顔とはどういう物か、がどれだけ頭にはいっているかが重要である。 写真は漱石の鼻のように修正がほどこされている場合が多い。またその写真を複写、あるいは絵画化、またそれをさらに複写-、という過程でこれが同じ人物か?という場合さえある。その間には本人のこう見られたい、写真師のこう撮りたい。または絵師のこう描きたい。その他様々な思惑が差し挟まれている。こういった表面に浮ぶ塵芥をそうっと取り除いて、私なりの人物像を作り上げなければならない。オリンピックを観もしないで。
HP