明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



イメージした物を作るためにはどんな手でも使おうと考えている私ではあるが、鏑木清方描く圓朝像を参考にしなければならない、ということは実に癪である。人が創作した物を参考にするなんてことはできればしたくない。本人を目の前にして制作された浅草寺の九代目團十郎像は未だに観に行っていないくらいである。人となりを知るにつけ、写真に撮られた圓朝像は私にはほとんど何も伝わって来ない。ただのそこらの隠居にしか見えないのである。その点清方作品は、デフォルメはしているものの実見記に残されている圓朝像を表しているように思えるのである。 考えてみると私は常に、まことを写す、という意味で付けられた写真という物が、まことなどほとんど写されていないので、イライラし、著作を含め様々な物を読んで、そこに何かニュアンスを加えようとドタバタして来たわけである。昔は感光性が低く、しばらくじっとしていなければならないなど不自由もあったのではあるが。 まだ観に行っていないので憶測でしかないが、女流写真家ジュリア・マーガレットキャメロン。たしか娘にカメラをプレゼントされて写真を始めたような人物だったと思うが、この人は一味違うような気がしている。

HP



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