明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



82年の第1回個展は、会期一月前から一日豆腐一丁と白菜だけで、エアコンもなく、それも暑い季節に猫舌に乗じ鍋で食べる始末であった。何処の誰かも知られておらず、また東京に人が居ないお盆ど真ん中の割には、人に来てもらえた。そこで第2回は翌年の暮に決まった。決まったは良いが、そこからが良くない。一回目は、ある程度作品が貯まっていたし、何より怖いもの知らず。ところが一変、二回目はプレッシャーで苦しむ事となった。まったく作れなくなってしまった。今は粘土を開封したら、それを諦めることなく作り切るが、作り始めては、諦めの繰り返しで粘土を無駄にするばかり。昼間は物干しの溶接、夜は人形制作。これは酒など飲んでいる場合ではない、と約1年禁酒した。俳優がテレビでいくら飲酒していてもどうということはなかったが、最も好きであった噺家、志ん生の長男、金原亭馬生だけは毒で、だんだん酒が回って呂律が回らなくなる様が、あまりにリアルで耐え難く、画面に映るとチャンネルを換えた。1年後に、昔、一緒に廃村に住んだ先輩等と日本酒を飲み、生まれて始めて二日酔いをした。禁酒の後なので酷かった我、幸いそれが唯一の二日酔いとなった。 一度、これは来年の個展は無理だ、とキャンセルをお願いに行ったが、ギャラリーも、そんな連中を沢山見てきたのであろう。こちらから言い出す前に諭され帰った。その日からどういう訳か、制作は順調に進んだ。



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