好き勝手に作っているようで、案外、融通の利かないところがある。以前であれば、猫を虎に変えたなら、虎はすべて猫で行かなければならない、と考えただろうが、同一画面の中に矛盾がなければ、かまわないという所まで来た。虎も作ることになるかもしれない。この調子で行くと、いずれ同一画面の中にさえ矛盾が存在することになるかもしれない。何しろかつての日本人は、一つの画面内に時間経過、さらに起承転結でさえ描いて来たのである。西洋文明に犯される前の日本人の目を、見え方を取り戻せるならば取り戻してみたいものである。 備忘録としてのこのブログもいずれ改めて読み直してみたいが、確か昼間、買い物を済ませ永代通りを歩いていた時だったろう。頭の中のイメージには陰影がない、と気付いてスーパーの袋を取り落としそうになった時のことは鮮明に覚えている。私の中のかつての日本人の記憶が、フラッシュバックのように、突然甦ったかのような気がした。 頭に浮かんだイメージは何処に行ってしまうんだろう。確かに在るのに。と悩んでいた幼い頃の私に、やたらと時間がかかつたが、一応、ここまで来た、と教えてやりたい気がするが、時間かかり過ぎだ!と絶望して寝込んでしまいそうである。自分で見つけた物しか役に立たない、という厄介な性質なので仕方がないのだよ。