明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『豊干と虎図』我が侘び住まいに無事収まった。とても敵陣に突撃して討ち死にした勤王の志士が描いたとは思えない、奇怪な僧とひょうきんな虎は私を見守ってくれるだろう。もうこれで大丈夫だ、と根拠のない気持ちがフツフツと湧いて来てなんだか笑えた。私の場合、内から湧いて来ることがもっとも大事なことであり、頭で理解出来る程度の根拠など必要としない。床の間代わりの置き床では、軸が届きそうなので、ギター制作用に入手しながら使いもしないホンジュラスマホガニーの板でも下に敷くことにしよう。 昔から、人間も草木と同じ自然物であるから、内部には、必要にして充分な物がすでに備わっているので、その声を聞き逃さずいれば良い、とそれこそ根拠もなしに確信してきた。何某か先達に学んだ所で、必ずしも改善されず、むしろ衰退していることは博物館に行けば判るし。 ここまで来て、何故幼い頃から、外側の事象を描く写生が嫌いであったのか。それこそ外側の世界を写すために作られた写真に対しても、真など写してたまるか、とずっとグズグズいい続け、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを向ける“念写”が理想だ、という始末である。 幼い頃から行き当たりばったり、なんの脈絡もなく歩いて来たつもりでいたが、実はどうも真っ直ぐな一本道をずっと来たのだ、とここに来て私の正体にやんわり気付き始めている。そしてここに至り、何故『寒山拾得』なのか。についてもどうやら合点がいきつつある。


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一日  


好き勝手に作っているようで、案外、融通の利かないところがある。以前であれば、猫を虎に変えたなら、虎はすべて猫で行かなければならない、と考えただろうが、同一画面の中に矛盾がなければ、かまわないという所まで来た。虎も作ることになるかもしれない。この調子で行くと、いずれ同一画面の中にさえ矛盾が存在することになるかもしれない。何しろかつての日本人は、一つの画面内に時間経過、さらに起承転結でさえ描いて来たのである。西洋文明に犯される前の日本人の目を、見え方を取り戻せるならば取り戻してみたいものである。 備忘録としてのこのブログもいずれ改めて読み直してみたいが、確か昼間、買い物を済ませ永代通りを歩いていた時だったろう。頭の中のイメージには陰影がない、と気付いてスーパーの袋を取り落としそうになった時のことは鮮明に覚えている。私の中のかつての日本人の記憶が、フラッシュバックのように、突然甦ったかのような気がした。 頭に浮かんだイメージは何処に行ってしまうんだろう。確かに在るのに。と悩んでいた幼い頃の私に、やたらと時間がかかつたが、一応、ここまで来た、と教えてやりたい気がするが、時間かかり過ぎだ!と絶望して寝込んでしまいそうである。自分で見つけた物しか役に立たない、という厄介な性質なので仕方がないのだよ。



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