明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



 
『豊干に虎図』の掛け軸届く。タトウ入り、香が炊きこまれ落款印譜のコピーも入っていた。今時尊攘派の志士など人気ないのだろう。おかげで私の家にかけられることになった。 ”待てば海路の日和あり“子供の頃から、お隣の家のステレオ装置で広沢虎造の三十石船をかってに上がりこんで聴いていたせいで、学校のテストで日和を“しより”と書いてしまった。寒山拾得に関して、なんとなくではあるが、外堀が埋まりつつある気がする。この掛け軸も一役買うだろうし、偶然先月、必要があり、ある動物の毛並みを工夫したことについて、虎も作れという啓示であろう。 下手に性能のかんばしくない頭を使うくらいなら、金魚でも眺めながら待つ方が良い。私の扱い方は私が一番知っている。知っているのは制作に関してだけなのが惜しいのだが。まあ、あれもこれも、と贅沢を言うもんではない。肝腎な一つについて知っているのだから上出来としよう。 まずは、常に寒山拾得の膜に覆われているような状態になる事が肝腎である。三島を作っている時も書いたが、洗濯物を眺めても、三島由紀夫越しに洗濯物が見えているような状態で、そうなればいつ頭上から何か降って来ても、取り落とすことはない。ただ交通事故には気を付けたい。 口うるさかった母には、“外の世界に興味がないような顔は決してしてはならない”と教わった気がする。母親の勘が、親心がそう判断したのであろう。確かに例えば私が三島由紀夫、あるいは今なら寒山拾得の膜に覆われたような状態でいることを察知し、腹を立てるのは決まって女性である。小学校の担任の女教師は、そんな状態の私を難聴であると判断した。おかげで母に手を引かれ買い物に行くと母が小さい声で私の名を呼び耳の調子を試すのであった『うるさいなあ、なんだよさっきから。』と思いながら、聞こえないふりの私であった。


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