幕末に、近代化に対する不満を爆発させた攘夷派の士族が各地で決起する。三島由紀夫が晩年取材した神風連もその一つで、廃刀令に反発し決起、政府軍の近代兵器に対し刀、槍のみで抵抗、当然あっという間に鎮圧される。私も三島が神風連に扮し”もはやこれまで“と腹を切っているところを制作した。神風連は、電線の下を通る時は扇で頭を隠して通った。三島の最後の演説は、テレビを観ながら「スピーカーないと良く聴こえないよ。」と思った私だが、三島が市ヶ谷にスピーカーなんて野暮な物を持ち込むはずがない。もっとも説得され立ち上がる隊員が一人でもいたなら、予定の結末が妙なものになって困ったろう。 水戸藩では、天狗党の乱が起こった。徳川慶喜に想いを託そうとしたが、慶喜に見捨てられ、数百人が斬首された。私は仕事で慶喜を作ったことがあるが、父方の親類には天狗党三総裁の一人の子孫がいるので、作りながら妙な気分がした。 ところでここ数日、豊干禅師が寒山と拾得同様、奇怪な人物として描くべきではないか、と思っていたら、ヤフオクでそんな豊干と虎の図を見つけた。なかなかの怪僧ぶりが気に入り落札した。これから二年間私を見守って貰いたい。 作者はというと、奈良で起きた天誅組の乱の総裁の一人で、壮絶な討ち死にを果たした絵師でもある藤本鉄石である。天誅と虎の表情のギャップが可笑しい。山水図を多く残しているが、ユーモアの持ち主だと知ってはいたが、この作品には山水図では窺い知れない藤本のユーモアが現れていて納得した。以前藤本の、一人の鎧武者が真ん中にポツンと描かれたボロボロの掛け軸を入手したが、ボロ過ぎて掛けることはない。 私は64年の東京オリンピック以前の東京こそが、私の東京だ、と引っ越しを機会に、そんなつもりで暮らしているが、本音をいうと、さらに明治以前、御一新前に憧れがある。と、長押に架けられた南州こと西郷隆盛の扁額を見上げる私であった。本物は百に一つといわれており、当然九十九の口であろうけれど。 そういえば、つい先日のブログで葛飾北斎親子に”あんな野暮なものを取り入れると晩節を汚すことになるから止めた方が良い”と御忠告申し上げたばかりであった。
