明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



芭蕉記念館の芭蕉庵は、納入直前に、すでに完成していた板葺き屋根を藁葺きに、急遽変更したために、やり残した部分があった。我が家からの搬出を考え、屋根と本体を別々に作ったが、本日ようやく接着。多少の隙間はいずれ埋めよう。汚し塗装も加えた。閉館後の作業中、掃除のおばさんが、昔こんな家に住んでたので懐かしい、と褒めてくれた。 次号の『タウン誌深川』のエッセイのため撮影。芭蕉庵制作について書いても、あまり面白くないので、今回毎日のようにホームセンターに通い、つい日曜大工好きであった父を思い出していたので、父について書いた。ズボラな私と違い、元設計技師であった父は、鉛筆をやたらと尖らせていたが、私の鉛筆で製図して高層ビルを作ったとしたら、最上階は相当傾くだろう。



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蝦蟇仙人が連れている三本脚のヒキガエルだが、本物のヒキガエルを使う可能性はまだ捨てきれないでいるが、その場合は人形の展示が出来ない。撮影にどちらを採用するか、は後で考えるとして、まずは粘土で作ることにした。今回のモチーフには、決まり事のような物があり、それに準ずるか、準じないかは自由だろうが、せっかく先達の末席に位置しようと思うなら、私に取って都合の良い所、すなわち作って面白そうな所はそうしたい。中国の顔輝作由来か、一本しかない後ろ脚を鷲摑みし、胴体は頭か肩口に乗せている。私の蝦蟇仙人はハゲ頭で、カエルの前脚がぺったり張り付いている所を作りたい。もう一カット、地面で踊る蛙を見下ろす蝦蟇仙人というところか。 15の時に好きな物は一生好きだと聞いたことがあるが、このモチーフは、もつと前の私も好きだろう。違うことといえば当時、カエルの尻に花火を突っ込んで平気で破裂させていたが、今は触るのも嫌である。犠牲になった連中には申し訳ないが、悪いことは早めに済ませておくべきである。



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