明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



金魚の餌を買うのを忘れていた。金魚は一週間くらい餌を食べなくても平気なのだが。水槽前のテーブルで食事をしていると、全員が横並びてジタバタしながら私を見ている「水島!一緒に日本へ帰ろーっ!」帰るか。連中に見られながらの食事は美味くない。目を背ける。 金魚を眺めながらも、豊干や寒山や拾得のイメージが間に割り込んで来る。拾得は道端に捨てられた赤ん坊として豊干に拾われ寺に連れて行かれる。となると子供じみていて当然ではある。それでも多くが、肥満体で描かれているのだけは承服出来ない。何しろ痩せこけている、と『寒山詩』の序文に書いてある。そして程なく寺から姿を消すので、少なくとも老人ではないだろう。役人の閭丘胤(りょきゅういん)、豊干から寒山拾得が文殊と普賢菩薩だと聞いて、寺の下っ働きである二人にうやうやしく会いに来て、なんだお前は、と逃げられ、二度と寺には戻らない。それでも懲りず、さらに訪ねていくと、岩陰に引っ込み、そしてその岩は閉じてしまう。閉じゆく岩の間から覗く寒山と拾得のアルカイックスマイル。これは作る気がそそられる場面である。当初ミーハーで空気の読めない男と考えていた閭丘胤、実はその後、人家の壁や岩の上に書き残された寒山の詩を収集し、鷗外が解説加えて書いた序文も書いた人物、となれば雑には扱えない。それに寒山拾得の存在を引き立たせる俗の象徴として重要な役どころであろう。



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