明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



まずは豊干の頭部を作り、その次に虎を作る。制作は来年の正月開始とする。世間が休みの時は、心安らかに制作することが出来る。母は意識してはいなかっただろうが結果的に、”けつして外側の世界に興味がない、という顔はしてはならない“ことを私に教えた。だがその過程での副作用で、役にも立たない好きな物を作る事にたいして、拭い難い罪悪感が植え付けられ、そのため、世間が休みの時ほど、清々しく制作出来るのである。そのもっともな好機が正月ということになる。学生の頃から、正月に何か制作をしていなかったことは一度もない。実家に帰るようになったのは父が亡くなって以降のことである。だがしかし、これまたなんの根拠もないことではあるが、寒山拾得をやり遂げたなら、その時は罪悪感から解放されるような気がする。何しろ三島にしろ鏡花、室生犀星にしろファンはいる。寒山拾得に至ると、友人の90過ぎのお母さんが期待してくれているぐらいてある。役立たず、ここに極まれり。 所で昨年の引っ越しを機会に断舎利を決行し、私のイメージする東京は、東京オリンピック以前の東京であり、オリンピックに向けての開発により、何が消えようが失われようが不感症になり、と言って来たが、どうやらそれは違っていたようである。長らく東京オリンピックのせいにしていたが、そうではなく、元々興味がないのだろう。何度となく書いて来たが、幼い私は何処かの王様に石の塔に幽閉され、「ここには図書室もあるし、クレヨン鉛筆絵具使い放題。算数や宿題なんかしなくて良いから一生ここにおれ。」なんてことを夢想していた。それに昔から刑務所に入れられても、材料さえ供給してくれれば、たいして通常と変わらない作品を抱えて出所してくるだろうなんて思っていた。 役立たずであればあるほど盛り上がってしまうタチであることも証明することになる2021年となるだろう。寒山拾得に手を染めてしまった人間に怖いものがあろうはずがない。



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