寒山拾得水槽の虎役の金魚が、黒の虎模様が消えてしまい、ベランダに出向になって久しい。金魚というものはそういうものらしく、色抜けする途中の状態を虎柄などといって売っているらしい。以来。虎柄を見つけでも買う気がしない。 藤本鉄石のひょうきんな虎は良いが、ところで私はどうする、という話である。後の寒山拾得制作時に備え、知人の家で飼われているトラ猫を撮影し『月に虎図』をものにしたは良いが、あれにしたところで前もってマタタビをキメてもらい、2回撮影して、ようやく一カットである。豊干を乗せたり、豊干、寒山、拾得と虎が寄り添って眠る『四睡図』は必ず手掛けなくてはならない。猫がそんな調子良く撮らせてくれるとは思えない。かといって、フリーペーパーの表紙で向田邦子を作った時、アンコ?だったか、妙な色した猫を抱かせたが、二度と猫なんか作らないと思った。特にあの頃は、すぐ近所に猫だらけの飲み屋があり、目の前のカウンターに、ずっと居座られたりしていたから、あれを撮らせて貰えば良かった、と後悔した。また、『植村直己と板橋を歩く』も悩んだ。街中に私服で立たせ、あんな華もなく絵にもならない人物はいない。板橋の名前の元となった、現在コンクリート橋のかたわらの道標のイメージを頼り、アラスカンマラミュートのブリーダーの所まで撮影に行った。この時は、逆にマラミュートという”純毛“がそばにいるので粘土製の植村の髪が合わなく、階下に住む人を呼び出し、屋上で私の髪を撮影してもらい貼り付けた。ところでそういえば。 詳細は語れないが、つい先月、たまたま、ある動物の”毛並み“を表現する機会があった。偶然にも程がある。“ああ、これは虎も作れということだな”と今思った。