明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




途中中断はあるが、小学校の頃から熱帯魚を、特にシクリッドという、縄張り意識が強く、他の魚との混泳が難しい魚を飼って来て、金魚は様々な形、模様の金魚と混泳が可能で(厳密にいえば、似た体型同士の方が良い)つい水槽内が賑やかになってしまう。あの色は居るから、もうちよっとこんな色が欲しい、となってしまうのである。しかし毎日眺めていると、金魚が特に平和主義者というわけではなく、実際は他の金魚に興味がない、無関心という感じである。 もうすでに、第二寒山拾得水槽が可能なくらい、数は居る。昨日までは寒山と拾得と共に三聖人と呼ばれる豊干が、大きく黒い僧衣をまとったような青文魚を、その風格から店で見た時点で豊干にするつもりでいたが、昨日書いたように、他の二人同様、実は阿弥陀如来であるのはともかく、むしろ怪僧じみているべきではないか、と思い始めた。そう思うと、最近メンバーとなった鹿の子模様のオランダが、よりふさわしい気がしている。水槽内で一番大きく、黒い鼻は犬のようでもあり、チヨビ髭にも見え、呑気な顔して、私の酒の相手をしてくれている。

 



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寒山拾得の拾得は豊干禅師に拾われたから拾得となった。最初に作ろうと考えている豊干は、一説によると二メートルほどの人物といわれる。虎を手なずけ跨がっているのだから、少なくとも小さくはないだろう。また阿弥陀如来だという説もある。かといって、寒山と拾得が、実はそれぞれ、文殊、普賢菩薩だというのに、あの有り様。豊干にしても阿弥陀如来然とはしておらず、実態を隠し、むしろ怪僧じみた人物として描きたい気がする。もしくは、豊干だけはまともな禅師とするか。 個人的には、幼稚園児の頃から、毎週、それこそ黒タイツの男の頃から、大きな化け物じみた連中をテレビで観ていたので、情報は十二分、私の中にあるので、それを生かしたくはある。



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