寒山と拾得を作る前に、まずは豊干を作ろうと思う。色々な意味で基準になるだろう。とりあえずは頭部が出来れば、出来たも同然。放っておいて、次に誰かを作るも良し。普段、虎に乗っている豊干。虎をどうするか。数年前の、個展としては始めて石塚式ピクトリアリズムを披露した青木画廊に、かつて虎を見たことがなかった絵師の虎の味を出すために、近所のトラ猫を撮影し、顔のわずか一部に動物園の虎の模様を貼り付け『月に虎図』とした。唐突だと思いながら、その思い付きに我慢が出来ず出品したが、かなりなフライング。何でこの中に虎がいるんだ、という話しだが、思えばあの時には、寒山拾得にすでに向かっていたことになる。ただあの時点では、陰影を無くす、と言いながらも、つげ義春『ゲンセンカン主人』の女に、行灯の光を当てる誘惑抗しがたく、改宗したなら、すべてを改めるべきだ、という融通の利かなさで、身をよじって苦しんでいた有り様であった。今はというと、好き勝手やってるくせに、そんなことで悩むなんておかしいだろ、と欲望の赴くまま。一つの画面内に矛盾さえなければ良しとした。よって『三島由紀夫へのオマージュ椿説明男の死』では、市ヶ谷で11月の光が当たっていたり、弓張り月のように浮世絵のように陰影なかったり。 と今書いていて、寒山と拾得も、ポイントとなる、何らかの場面では、普通に陰影を表すカットがあっても良いだろう。例えば例の無気味な笑顔を寄せ合う二人のアップなど。