明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



話に聞く子育てと大分趣が違うと思ったであろう母は、父が脱サラし、共働きとなって、さらに子供に手が及ばないことにコンプレックスを生じたろうし、気苦労も増え、その分厳しくもなり、おかげでチック症になった私だが、今に至れば母には感謝している。母は意識していなかったろうが、結果的に私に“外側の世界に興味ないような顔をしていてはいけない”と伝えた。このままでは苦労する、という親心だったろう。おかげで人間関係で失敗することはなかったが、代わりに、役にも立たない物ばかり作ることに、拭いがたい罪悪感を植え付けた。しかし生まれ持った物は如何ともし難く、多少の罪悪感は、個展会場で恥ずかしそうに“こんな物作ってしまってすいません”と恥ずかしそうにしている程度で済んでいる。 さすがの母の予見は的中し、結局は外の世界にレンズを向けず、眉間にレンズを向ける念写が理想だ、と言い出す始末、人間も草木と同じ自然物、すでに全てが備わっているはずだから、ただヘソ下三寸辺りの声に耳を澄ませていれば良い。と常に思ってきた。これすなわち、私が禅画のモチーフに惹かれる理由であり、私という人間には向いている、ということであろう。



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