明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 





長い年月の間に描き継がれて行くうちに、伝言ゲームのように微妙に変化して行くこともある。伝統とはそういうものであろう。痩せている、と寒山詩集の序に書かれているのにかかわらず、何故唐子じみた肥満体として描かれ続けて来たのか。私にしてもその序文を読んでいなければ、当然のようにそうしていただろう。しかしそれが伝統だとしても、原点である寒山詩の序に一言そう書いてあれば、私は変えることは出来ない。曾我蕭白の痩せてみすぼらしいバージョンの存在は、やっぱりそうだよな、と私には心強い。そう思って以来、蕭白は無頼な奇人というより真面目をこじらせた人に見えてしまう。 研究者に聞いて見たいことは沢山ある。今はネットのおかげで、質問出来る可能性もある。九代目團十郎制作時、明治時代にコロタイプにより制作された写真集の大冊がある。しかしお家の芸である睨みのカットが一つもなく、国立劇場で團十郎親子の写真を撮っている方にメールしたら十二代目に電話で聞いて貰ってしまった。長時間露光のせいではないか、ということであった。他にも某大教授にも別の疑問を答えていただいた。だがしかし、それはせめて頭部でも出来ていれば、の話である。作品の欠片もないのに、私のやりたいことを説明出来る気はしない。寒山拾得に至ってはなおさらである。制作開始迫る。



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