作業机をようやく予定していた位置に設置した。昨年まで使っていた文机は天板が欅の一枚板なので、引き剥がして掛け軸の下に敷くか、引き出しが一つ開かないことを除けばしっかりした作りなので、道具屋に引きと取って貰うか。 これから壁に向いっ放しの達磨大師の如き日々が始まる訳である。幸い集中力だけはあいかわらずであるし、モニターをいくら見ていても目の疲れを感じない体質である。そんな生活も、コロナ禍の中推奨される有様で、あまり嬉しそうではいけないが、それに乗じて拭いがたい罪悪感も感じないですむ。 しかし改めて考えてみると、寒山拾得も、今だから良いようなもので、一歩間違えれば、いや間違えなくとも、親不孝の元だったろう。最近、様々な物や事が大きく一回転しているのを感じる。先日思い出したのは小学4年だったろう。学芸会の出し物で、大国主命が主人公の紙芝居を作ったが、学芸会用なので、休み時間に描いていても叱られることなく、堂々と描いていたのを思い出したのであった。