明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



伝統的日本画の世界では、先達の作品を写すことは普通に行われて来たことで、私の育った葛飾は某所のように”真似っ子マンジュー豆屋の小僧♪“などと貶まれることもない。(何で饅頭なのか豆屋の小僧なのかは不明)独学者の私が博物館に行き、親から子へ、師匠から弟子へ、連綿と学び継がれて来たわりに、必ずしも右肩上がりとは限らず。だったら独学でも良いや、と思った。 ある絵師に影響を受けたほぼ同じ構図の絵師の作品を見ていて、その師匠格の作品を上書きするかのように、洗練させているのが判るが、代わりに何か失われた物が間違いなくある。一歩進んで二歩下がる。伝統と一口にいっても、単純な物ではないらしい。 寒山拾得的なモチーフの面白さは、人間臭く、かつ、実際はこんな人間いないだろ?という造形が可能であることであろう。豊干禅師を作るべく、一掴み粘土を手にした。



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