明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




躰が動き、球が走り過ぎる時は注意を要する。実在の人物なので参考資料も必要なく、形になるのも早い。相撲でも、自分の得意な型に持ち込み、してやったりと出て行って負けると”喜び過ぎた“なんていうが。 たまたま高橋是清に似ているとしても、別に問題はない。また似ているといっても、いわれてみれば、という程度で、ハゲ頭にアゴ髭で、あまり怖い顔にして達磨大師にならないようにしていたくらいである。だかしかし、シーズン初登板でもあり。私にすると喜び過ぎ、土俵を割ってしまった感が拭えず。 我が家の金魚水槽内も、豊干の乗る虎役の虎柄が消えてしまい、ベランダに出向になり、主役の寒山が調子悪く、大きさも追い越した拾得を寒山に、三番手のオランダ獅子頭を拾得に、と考えているように、今回の豊干禅師を寺のその他大勢の僧侶の一人、もしくは、ひょっとして『虎渓三笑図』を手掛けるとしたら、三人の一人に、と降格?処分にすることにした。豊干禅師は拾得を拾って来た人物だし、虎に乗ったり、寒山拾得と虎と共に眠りこけ『四睡図』となる予定である。まあまだ始まったばかりだが、最初が肝腎であろう。



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