某誌表紙の打ち合わせ。使う人物は決まったが、どの作品が手元にあるか記憶が曖昧である。また怪我?をしていないか、チェックしないと判らない。一度作って写真を撮ってしまうと私は冷たい。作っている時はああだこうだいってるが、一度頭の中から取り出し、やっぱり存ったと確認し、私にはこの人物はこう見え、こういうつもりで作った、と”念写“を済ませてしまうと、先代猿之助の如き冷たさである。 本日は2月26日。これは拙著『貝の穴に河童の居る事』泉鏡花作の一場面である。房総の海に遊びに来た芸人達。たまたま日なたぼっこに来た河童が娘の尻に触ろうとして大怪我をする。逆恨みをした河童は鎮守の杜の姫神様に仇討ちを願い出る。宿の連中の上に大きなイシナギを頭から降らせようか?しかし結局、鎮守の杜も人手不足、と構想だけに終わった場面である。この家は高橋是清の旧邸で、是清はこの隣の部屋で青年将校に惨殺されている。