明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昼間、豊干禅師の頭部、細部を残し完成。とフェイスブックに画像をアップした。実在した人物と違い完成は早い。今日中にも完成を、と考えていたのだが、一つ軌道修正をした。 これから三百年も生きたような老人を何体か作りそうである。そう思うとこの豊干、私のイメージする仙人調である。ここであまりにもイメージを注ぎ込んでしまうと、後が続かないのではないか?そこで仙人然としたヤギ髭の形をアゴ髭に変え、長い眉毛をカットした。すると何だか見たことがあるような顔になった。高橋是清である。昨日のブログに是清のことを書いたことと無関係であろうか?確かに眉毛アゴ髭を短くするまでは似ていなかったのだが。実は昔似たようなことがあった。それも『貝の穴に河童の居る事』である。 潔癖症の鏡花がベタベタと生臭い、と書いた河童の三郎は、絶対に”カワイイ“とはいわせまい、と考えながら作っていた。河童が完成してみると、当初イメージした河童と大分顔が違ったな?そのちょっと前、たまたまネット上のやり取りで、かつてのハリウッドの悪役俳優リチャード・ウイドマークについて書き込んだ。どうもそのせいで、ウイドマークのサッドフエイス的要素が入り込んでしまったようなのである。日本語の吹き替えでは、ネズミ男の大塚周夫がやっていたが、本人もヘンな笑い方をするウイドマークが好きだった。それしか原因が思いあたらない。頭の中のイメージは、いつ何時、何が紛れ込んでくるのか判らない。



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