明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


布袋尊が丸ごと乗るような、通常より大きな頭陀袋。それを含む仕上げで結局今日一に終わる。急遽始めてしまった作品であるし、たった一カットのために、あまり時間を掛ける訳には行かないが、撮影時に陰影を出さないように撮る石塚式ビクトリアリズムは、陰影による誤魔化しが効かないので、ちゃんと作っておかないと、アラが丸出しとなってしまう。見る分にはリアルな重ね塗りによる肌の着彩も、撮影すると汚れにしか見えず、三脚を立てたまま塗り直した。以来肌は一色のベタ塗りである。この結果は、原点である人形制作者として襟を正す結果となり、こうして自分のしたことにより教えられて来た。よそ見をせず、自分だけの現実で充分だ、と改めて。禅的な物に惹かれる原因はこんな所にもあるのだろう。 これらのモチーフを手掛けていて面白いことの一つは、曽我蛇足の一休宗純は別にすれば、その多くはモチーフである本人を見たことがなく、或いは想像力の産物であり、そういう意味では条件は私とあまり変わらず、勝手に末席に連なる気がする所である。ここ一年、コロナ禍の中数百年前の連中とばかり会話している。 達磨は面壁9年、手足が腐って無くなってしまったが、私もこのままでは危ない、とちょっとの自転車漕ぎ運動とスクワットで筋肉痛。



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