明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



禅宗の画題として絵師、画僧、文人に長い間描き継がれてきた寒山拾得。寒山詩の序に書かれた話が元になったイメージで、森鴎外もそれを元に書いている。 その外見が、どのように描かれて来たかというと兄弟ではないのに何故か双子のように描かれることが多い。痩せていると書かれているのに関わらず、肥満体の、また子供のような唐子調も多い。むしろ痩身は少ない。中国土産として日本で親しまれた寒山寺の拓本自体が二人の肥満体として描かれている。伊集院光が自分にそっくりだ、と入手したくらいである。 風狂無頼の徒だけに、ボロの着物に爪は伸びている、ところが、星の数程あるだろうが、髭が描かれた物を見たことがない。 岸田劉生の麗子像に影響を与えた、といわれる無気味なアルカイックスマイルは、おそらく顔輝が描いた物が発祥のようだが、実は思ったほど多くはなく、私が知っているのは5点ぐらいか。外見の特徴を並べると、こんなところであろう。 一度二人の首が出来たが、物足りなかった。タスマニアデビル2匹がじゃれあっているかのような、遠くから観ると可愛らしいが、実際はバケモノ染みた怪奇性が欲しい。という訳で、本日拾得の首がほぼ完成した。毛髪は河童以来、人形用の毛髪を使いたい。



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頭部を作った仙人は蝦蟇仙人、鉄拐仙人、琴高仙人で、結局鉄拐仙人以外は仕上げを残し完成した。龍の頭に乗る呂洞賓は、それにかこつけ龍を作りたいだけであったので、何とか耐えた”人間は頭で思い付いた物を作るように出来ている”養老孟司の言葉に後退った私である。しかし作って面白い物しか作る気にならないのは何よりである。 作家シリーズはこんな面白い場面を作らせて貰えるのは、作家の発想のおかげだ、と感謝したが、中国で生まれ日本に伝わったイメージの、自由奔放さに関すればそれ以上である。そして肝心なのは、自ら人物像を作り、被写体とする私の自由を阻むのは陰影ではないか?と定め、ここ何年も陰影のない石塚式ビクトリアリズム(日本的絵画主義写真)と一人はしゃいでいる訳であるが、最近のモチーフば至るべくして至ったモチーフであり”考えるな感じろ”の成果であることは間違いがない。鯉に乗った仙人や寒山拾得に陽が当たって陰影が有ったら、そちらこそがヘンであろう、と東洋人である私は思うのであった。



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