明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



子供の頃、どこかの王様に石の塔に幽閉され、そこで一生、好きなことだけやっておれ、なんていうのを夢見ていた私は、このままではロクなことにならない、と某施設で検査などの目にあったが、ご存じのように矯正不可という結果となった、なったけれど、おかげで罪悪感のような物が残り、なので世間が休みの時は、ここぞとばかりにすがすがしく制作ができるのである。なので正月は父が亡くなるまでは実家にも帰らなかった。しかしこのままでは生きてはいけないだろう、と陶芸作家を目指していたのに、自分を変えようとロクロもない、製陶工場に二十歳の時に就職した。 初めてそのままで良い、といわれた気がしたのは、その頃、澁澤澤龍彦集成の一巻エロシティズムを読んだ時で、無遅刻無欠勤であったが、我に返ってしまって元の木阿弥となった。 何を長々と書いているかというと、小学四年で感銘を受けた一休和尚が、シャレコウベを竹竿の先に掲げ〝門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし“なんて一休和尚を制作する、元旦の幸福という話である。



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