明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



外側にレンズを向けず眉間にレンズを当てる念写が理想といって来たが、人間も草木同様の自然物、肝心な物はすでに備わっている、と考えていた。その声を聞き逃さない、それを重要視した。それに加えて人と自分を比較しない、ところは徹底していた。というよりその能力に欠けていた。そこに生来の出不精が重なり、美術館他どこも行かなくなってしまった。勉強はすれば良いというものではない。むしろ一度入った物は出て行かないことを恐れ続けた。芸術作品は道を踏み外すよう誘惑してくる物である。今となると、独学者で我流者でなければ至る事のない私となったろう。  こんなタイプは中途半端が一番良くない。  作家シリーズから今回のモチーフに転向してみて、幼い頃を思い出すことが多いが、物心ついてからずっと終始一貫、創作時に溢れる出る快感物質による多幸感に取り憑かれている。私の紆余曲折は、その物質をより多く溢れ出させるモチーフをいかに手掛けるか、それに終始した一生ということになりそうである。この物質は溢れている間はどんな不安感も雲散霧消、笑っていられる魔法の、かつ悪魔的物質である。後は”人生は夏休みのアルバイトの如し、慣れた頃に夏休みは終わる” その夏休みを出来るだけ終わらせないため、月一のクリニックはサボることなく通っている。



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