明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



自分の中に浮かんだイメージとずっと向き合っていると、多少、擬似面壁坐禅的行為にもなっていたかもしれない。外側の世界にレンズを向けず眉間に当てる念写が理想、と2000年にHP立ち上げた時には書いていた。40周年記念の『寒山拾得』に向かうと、一巡りして子供の頃に戻ったような感覚を覚え、そんなことをブログに良く書くことも多く、母とのことも随分思い出した。〝人間も草木同様自然物、肝心なものは備わっている”と何を根拠にか思い続け、禅的モチーフに至ったのは偶然ではないと思ったりする。 小四の時読んだ大人向け『一休禅師』に少なからず刷り込まれ続けていたことに、先日気付いたばかりである。母は読んだって解るわけない、と止めたことを覚えていた。おそらく私は母が拒否し難いよう書店のオヤジの前でねだったのは間違いない。そうこうして、この調子で行くと、私というものの正体がさらに明らかになり、死の床で〝Eureka!”なんてストーリーを薄々想像している今日この頃である。いずれにしてもシナリオを書いているのは私自身ではなさそうである。



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