明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



これは昔から書いて来たことだが、日曜や連休、世間が休みの時こそ、清々しく制作出来る。学生の時も、暮れ正月も実家に帰らず何か作っていた。それは拭い難い、罪悪感のような物があり、世間が休みだと、それを感じないで済んだ。何を今更という話なのだが。 今でこそ応援してくれている母だが、好きなことになると、始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず大騒ぎさせたり、という例の快感物質に溺れる我が息子を、何とかしようと、あらゆる手段を使い、治らないならせめてバレないようにせよ、と。父が脱サラし、共働きとなり、目が届かなくなった分、うるさく、当時私はチック症になった。 しかし寒山拾得を手掛けるようになり、何故か当時を振り返ることが多くなり、向き合ったせいで、気が付いたら。まったくとはいわないが、罪悪感は薄れている。そして母が会うたび「今何作っているの?」と聞くと、あの頃苦労させられた分、今になってヌルい物作っているんじゃないだろうね?」と聞こえるようになった。



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