週末に南房総に行き、滝に打たれる不動明王用の滝を撮って来る予定だが、問題は水の扱いである。陰影がないのに、水の反射、輝きがあるのはおかしい。かと言って不動明王の衣は粘土ではなく布を使って、濡れて貼り付いた所が、もう一つの描き所だと考えている。しかし不動明王が、水に濡れないようにかたわらに置いた火焔は筆描きする。つまり本当の滝を使うことは、すなわち、矛盾だらけの中で描くことになる。なので半分以上は流れる滝から岸壁など作った物を使うつもりでいる。こう書いていると、いかにも私らしいばかばかしさだが、これが私だ、というしかない。 それより先日、幼い頃、守り本尊の不動明王と、葛飾区下小松町と、今はなき所番地の彫られた迷子避けの小さなプレートを首からぶら下げていたのを思い出した。私は英一蝶のユーモアに感化され、と思い込んでいるが、私が私としての幕開けに出会ったモチーフで、シナリオ上のパーツとして立ち現れた、なんて考え過ぎだろうか?