朝っぱらからピーウィー・クレイトンの『After Howers』のギター練習。あれはバブルの頃ではあったのだろうか。ジャズ、ブルース人形を作っている頃、人形が細かくなるにつれ、楽器もそれに合わせなければならない。人形は作りたいが楽器を作るのが苦痛であった。それこそ『After Howers』という個展タイトルで、演奏後の設定で楽器ではなく、楽器ケースを持たせたりした。そこを救ったのが、人形を被写体とした写真を展示し、人形を展示するだけでは表現出来ない、私にはこの人物はこう見えている。というのが表現可能となった。となれば日本人制作に移行するのは必然だったろう。翌年日本の作家6人による『夜の夢こそまこと展』を開催したが、これは昭和3年生まれの日本人だと言い聞かせながら澁澤龍彦の脚を3回は切断しただろう。