明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


まことを写すという意味の写真という言葉を蛇蝎の如く嫌い続けて来たが、単に自分のやっている行為に〝まこと”なんて付いてるのが、居心地が悪かった。しかしAIの登場のおかげで、そんな必要もなくなったろう。本当は、デジタルの登場で、これで写真が裁判でも証拠と扱われなくなるだろうと期待したが、まだ足りず、AIの登場でようやく。私のイメージするリアルは、本物らしい、ということではない、と陰影を無くすことで表現できたのが、AI登場前だったことは何よりである。 午後『貝の穴に河童の居る事』で笛吹の芸人をやってもらったMさんと久しぶりに馴染みの焼き鳥屋、さらにTやへ。『牡丹燈篭」でお米をやってもらったかみさんに会った。『貝の穴〜』では笛吹の女房。『牡丹燈篭』のお露は三女。長女は『貝の穴〜』で、河童に尻を狙われる娘、三島由紀夫の『潮騒』の初江も屋上でかみさんにヒシャクで水をかけてもらいながら撮影した。軍医姿の森鴎外の肩飾りの飾緒の三つ編みなど出来ないので、娘が3人いるかみさんにやってもらったし、サーベルは店の使い古しかの菜箸をもらって使った。場面は『貝の穴〜』で河童がケガをさせられた腹いせに、連中にこういう目に合わせようという構想を画ににしたもの。ちなみにこの隣の部屋で、高橋是清は226事件で惨殺されている。



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