明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



長年、行き当たりばったりやっているだけなのに、誰がシナリオを書いているのか、今に至っているのを考えるににつけ、実に上手く出来ている、と度々感心しているが、これこそが、かつて思った、人間も草木同様自然物、ならば肝心なことはすでに備わっているはず。それを考えずに感じ取っていれば良い。ということに着地することになったのか。 それにつけても最大の謎は、なぜそこまで、自分を信用したのか。独学我流なのに関わらず、むしろ余計なことを学び、身につくことを恐れ、遠ざけ続けた。 一つ可能性として考えられるのは、実際は、奈落の底にころがり落ちているのに、気付かないまま40年経った状態なのではないか?見解という物には相違が付き物である。子供の頃にヒットした曲に『いいじゃないの幸せならば』というのもあった。



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