明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


『男の死』をすべてアップした。http://www.kimiaki.net/c-mishimapage1.htm『船への挨拶』で展示するのをウッカリ忘れていたカットがあった。といっても額装するつもりはなく、小さなプリントをピンで留める程度で、と考えていた灯台の海上保安員を海上より銃撃する、黒い密航船である。KさんとF104を撮影に行ったおり、浜名湖のロープウエイから撮影した写真を元にしている。 個展に来られなかった知人に『潮騒』の海女をやってる彼女達は誰?と聞かれたので、アイクターナーにはアイケッツ。レイ・チャールズにはレイレッツっていただろ?あんなもんだよ、と答える。
近いうちに鈴木邦男さんとお話しする機会があるのだが、その前に『遺魂』三島由紀夫と野村秋介の軌跡(無双舎)を送っていただく。これが面白くて止まらない。T千穂で数日ぶりにKさんと会う。F104のパイロットが落下傘を背負っているように見えるコルセットがずれており、常連のナースに直してもらったらしい。痛さで大人しくしているようだが、喉元過ぎれば元の木阿弥となるのは判っている。念仏唱えるとコルセットが締め付けられれば良いのに、と話す。解散後、Pに一人行って『遺魂』を読み続ける。混んで来たのでT屋に行こうと角を曲がると、暗がりの中お母さんと子供達が上を見ている。「月食ですね?カメラ持ってこよう」。風邪ひいてるのにいい加減にしろ、ということだな、と帰宅。月食など、なんの興味もないので寝るまで『遺魂』を読む。



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一日  


昨日入手したプリントのコピーについてブログを書いたが、どうしてこんな撮影が許されたのか、と不思議であったが、どうやら無許可で撮られた物のようである。関係者なら誰が撮ったか判るだろう。これが知れたら撮影者は大変なことになるかもしれない。ブログは念のため削除した。 本日、椎根和さんと電話で話させていただいた。椎根さんの著書“オ-ラな人々”(河出書房新社)に秘蔵写真集として掲載されている三島由紀夫の写真が素晴らしい。私も随分三島の写真を見てきたが、それらとは明らかに表情が違う。まだ沢山あるそうなので、近々拝見させていただくことに。 前述のプリントの件から篠山紀信撮影の『男の死』についても話が及んだが、椎根さんによると、おそらく出版されることはないだろう、とのことである。理由も伺った。ここ数年間、せっかく着想した私なりの『男の死』も、オリジナルが先に出てしまっては興ざめだ、と常に考えてきたが、取り越し苦労だったことになる。私のことなどどうでもよいが、三島が自決する直前の、貴重な時間をやりくりしながら心血そそいだ作品のことを思うと、どうにかならないものか、と思うのだが。



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一日  


病院へ行ったとKさんより電話があった。あれほどズキズキと痛くて眠れない、といっていたのに、朝、病院へ行く前にT屋で飲み、病院からの帰りにふたたびT屋でチューハイを4杯飲んだという。あんたは猿以下だ、といいたかったが、まてよ、Kさんは実は物凄く優しい人で、死んだ時、周囲が悲しまないよう、そうしているのかもしれない。もう鎖骨を折ったくらいじゃ心配する気にならないし、事故死してザマアミロ、と思えるまで、あともう少しである。
先日個展に来ていただいた鈴木邦男さんのブログに、その時の様子がアップされている。http://kunyon.com/後で出版社の方がみえ、トークライブがあるのでどうだろう、という伝言であった。検索したら、かの有名な、吉田茂とは違う意味で人を喰った人物も出るではないか。私はその人物が撮った白人女性の水着姿のプリントをヤフオクで落札したくらいで何も問題はないが、舞台上に上がってとなるととても、とご遠慮させていただいた。 私は高校一年の時、友達と下手糞なバンドを組んで地元の公会堂に出たことがある。絶対上がるだろう、と日本酒をコップに一杯注ぎ、飲み干して出かけた。その当時、私は自分が酒が強いということを知らないので、いくら待っても何も起きずに焦ったのを覚えている。実際は照明のおかげで客席がまったく見えず、なんとか終った。 

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未だに頭の中は熱を持ち静まっていないようである。実際制作した作品と、イメージしただけの作品が夢の中では区別がなく、同じように存在していて、目が覚めてくると、徐々に、これはどうも考えただけで作っていないぞ、となってくる。3、40秒は懸命にどっちだったか考えているようだ。多少風邪ひきの熱のせいもあるだろう。 『男の死』では三島に、本人のキャラクターとは正反対で、三島が愛した“理智に犯されぬ肉の所有者”になってもらうことが眼目であった。そういう意味では三島のイメージに度々登場するサーカスの芸人、特に綱渡りになって落下死してもらいたかったし、あれだけ海に行きながら真っ先に考えていた漁師の死が実現していない。これは現在ではFRP製の漁船ばかりで興がそがれたことにもよる。 そして今回一番“取り逃がした”感があるのが、ついに、という感じで新潮社の全集に入った『愛の処刑』であろう。私はゲイ雑誌に掲載されすでに読んでいたが、これは『憂国』の下書き、といってしまいたい作品である。この大ネタは大きいだけに、どんどん後半に持ち越され、『憂國』とタイトルを付けた作品も、これだけでは、まったく部分でしかない。最終的に『憂國あるいは愛の処刑』としたい。 陶芸をやっていたとき、しばしば経験したことだが、一度窯の温度を下げると、元に戻すのに骨が折れた。このまま作ってしまうべきなのか?

三島ページに黒蜥蜴を追加。



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風邪  


本日はK本の常連とMさんの住む高層マンションのゲストルームでの飲み会のはずであったが、どうにもだるく熱っぽく、節々も痛くて起き上がる気にならない。個展会場に足を運んでくれた人に改めて御礼をいいたかったのだが。 昼過ぎにベロベロに酔ったKさんから電話。洲崎で飲んでいるから来てくれという。冗談じゃない。先日自転車に乗ってガ-ドレーにルにあばらをぶつけ、折れてるかもしれないので来週病院へ行く、といっていたが、この時間でこの状態ではまた何かやるだろう。いくらうるさくいっても聞かない。そうこうして夕方に。今回寝床で汗をかくため良い方法を考えた。布団乾燥機。これは効く。そのせいかどんどん快方に向かう。そこへふたたびKさん。また自転車でコケ救急車。鎖骨を折った。「猿だってもうすこし勉強するよ」。まだ飲みに行くというので止めに行く、現れたKさん顔面蒼白。最新のコルセットなのか、まるで浜松でKさんが着たF104の装備のようで笑いそうになる。顔面をぶつけて見るも無残な状態になったのも、前回のガードレールも、そして今回も、Kさんの家のすぐ近く、昔でいう『洲崎パラダイス』の中である。「これで判った。女性を性の道具にしか考えていないジジィに、洲崎のお女郎の霊が祟ってんだよ!」帰ろうといっても帰らないし、K本の常連が流れてくるというのでまかせることにして、相手にしないようメールして帰る。帰ると飲み会のお裾分けがドアノブにかかっていた。何も食べていなかったので有り難い。しかし治りかけでの外出がいけなかった。ふたたび風邪がぶり返す。さらにKさんからは痛くて寝られないとメ-ル。知ったことではない。今回は多少苦しんでもらいたいものである。
それにしても先日まで個展会場ですましていたのに、Kさんのせいでとんだブログに。そこで『男の死』の中から、『仮面の告白』の4点、『ボクシング』から1点をアップ。

http://www.kimiaki.net/c-mishimapage1.htm



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一日  


5年ぶりの個展は『男の死』というタイトルではあったが、案内にいただいた内藤三津子さんの文章ですでに心配され、周囲も危惧するような内容はなく、“真面目にやり過ぎるとどこか可笑しい”という私の作風が炸裂したものとなった。これは意図したものではなく自動的にこうなる傾向にあるが、これは女性を制作するには向かず、男性を制作する場合にのみ有効である。特に三島自体が真面目にやり過ぎな人物なので、力石と矢吹ジョーのクロスカウンターの打ち合いのように威力が倍増したと思われる。(この理屈が小学生以来よくわからないのだが)三島は様々なことを告白しているので、いくらでもやりようがある。私は実際、真面目にやり過ぎる人や物が大好きであり、やり過ぎず、ほどほど、などというと不真面目で不誠実に感じてしまうタチである。 個展の終了間際、気温の急激な変化、疲れもあったろう、風邪をひいた。喉に違和感を感じた時点で薬を飲もうとしたら、鈴木邦男さんの突然の御来廊で、すっかり忘れてしまった。しばらく安静にしているつもりだが、少しずつ今回の出品作をHPにアップし、制作工程など留めておきたい。以前も書いたが、私は子供の頃、頭に浮かんだイメージは確かに頭の中にあるのに、どこへ行ってしまうのだろう、と不思議であった。私の創作行為とは、そのイメージを取り出し、“やっぱり在ったな”と確認することである。よって確認してしまえば役目は終了とばかりに急激に愛着が薄れていくので、早めに当サイトに記録を残しておかなければならない。

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8日間はあっというまであった。会期が始まっても作り続けている夢を見て、ようやく制作の緊張が解けたころには終了である。 三島でやりたいテーマは『男の死』これしかなく、今回作れなかった作品はおいおい足していき、想定した作品数に達するまでは作るつもりだが、今回6割以上作ったので、個展の続編はおそらくないだろう。 会場でご覧頂いただいた方以外にはチンプンカンプンかもしれないが、たとえば震災のおかげで今年中止になった深川祭りを来年撮影し、神輿を担ぎながら恍惚として死んでいる三島。市ヶ谷に向かうコロナ車中で隊員と歌ったという『唐獅子牡丹』から、背中に唐獅子牡丹を背負っての道行。題して『昭和残侠伝』。小学校しか出てない小学士様だ、といってたのは映画『からっ風野郎』でヤクザ者に扮してのことだったが、私なら小学校どころか、平仮名も読めないチンピラになってもらい、さらに悲惨な死に方で三島に喜んでもらうことも可能である。 今回来ていただいた方を羅列するわけにはいかないが、最終日の終了寸前、田村写真の田村政実さんや、『影武者』の家康役以降、黒澤映画の常連だった油井昌由樹さんに来ていただいたのは二回目である。油井さんの日本初のアウトドアショップに、当時どこにもなかったバンダナを買いに行ったのは、私が高校生の時であった。

明日3日は、搬出時間の関係からオキュルスのご好意で、午後3時までは引き続き見ていただくことが可能である。

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朝オキュルスへ向かいながら喉が痛い。これはどうみても風邪である。昨日との急激な温度差のせいか。ここ数年、風邪といえばこのパターン。都営地下鉄の高輪台を降りると薬屋が何軒も目に付く。まずオキュルスへいってから薬を買おう、と思い歩いていると、蕎麦屋から男性がでてきた。なんとなくその足元を見ながら歩き、コンビにによって初日以来、毎日飲んでる『メガシャキ』といったか、カフェインが入ったドリンクを買って飲む。オキュルスはドアの周囲がガラス張りで、中にいた男性と目が合う。さきほど蕎麦屋から出てきたのは鈴木邦男さんであった。一度みえて、私が来ていないので、食事を済ませて待っていただいた。 一水会は三島・森田両烈士らの魂魄を継承するため創立したとある。以前から三島で個展を催すさいには、お知らせしようと考えていた。三島の死んでいる様子を描く、というだけで周囲には心配の声があった。画廊には断わられるし、私も濡れた週刊誌を腹に巻いてそなえる、などと冗談をいっていたが、周囲が心配するような内容ではないし、そもそも危ない人物など一人も来ない。鈴木さんには色々お話いただき『愛国と憂国と売国』(集英社新書)までいただいた。北一輝をいつか作りたい、とお話すると、「見沢知廉は?」このペンネームは書店で三島の隣に並べられるために考えられたのではなかったか。「頭山満は動きがないから血盟団事件なども面白いかもしれないね」。お会いできて良かった。

午後、専門学校時代の同級生や青森からは下級生にも来てもらった。忘れていた記憶が甦る。陶芸作家になるはずが、三島由紀夫の前で昔話をする不思議。 結局風邪薬を買うのを忘れ、高輪台で一軒、地元で二軒ハシゴ。明日が最終日。

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