明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



全盛期の72年に後楽園球場で観たエマーソン・レイク・アンド・パーマーのキース・エマーソンが亡くなった。来日時、機材が何トンというのが話題になった。当時のシンセサイザーは単音しか出なかったような気がするが、どうだったろう。キースは鍵盤にナイフを刺したり(鍵盤の間)逆さまに弾いたり、ギター等と違って自由の利かないキーボードプレイヤーがやれるだけのパフォーマンスを見せてくれた。また前座がオリジナルメンバーではなかったとはいえ、フリー(バンド名)だったから、同年のTレックス、翌年のハンブル・パイと並んで行っておいて良かったコンサートであった。そしてその頃、日本にブルースブームが起きる。街の普通のレコード屋にブルースが並んでいたから今では考えられない。その数年後。陶芸家を目指し自分の窯を作るべく溶接をして暮らしたが、その間に遊びで、焼く必要のない粘土で架空のブルースミュージシャンを作っていたら、個展をやることになり、窯が出来たときには人形を作る方が面白くなっていた。 そのまた昔、陶芸の学校に通っていた時、遊びで手捻りで、素焼きのブルースマンを作ったことがある。その第一作を未だに持ってくれている友人がいる。昔遊びに行った時、記念に撮影させてもらおうと思ってカメラを持って行ったが、あまりの出来に、撮る気になれなかった。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回 

 

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小さいので乾燥しやすい、という理由で選んだ村山槐多をおおよそ作り、明日から乾燥に入る。全身完成させ出品する人物をあと6人の中から選ぶことにする。まだいけるだろう。そしてこれで限界、という体数まで作って乾燥させ、仕上げをする。 さて次に誰を作るかである。ここだけの話であるが、その6人の中には肝心の頭部が出てこない。というのが何人かいる。私は本当に作り終えた作品に冷たい。これは何度か書いていることであるが、子供の時、頭に浮かんだ物はどこへ行ってしまうんだろう、と思っていた。頭の中には間違いなく在るのに。頭に在る物を頭から取り出し、やっぱり在ったな。と確認したところで大部分満足してしまう。特に最近は“証拠写真”を撮るので、撮り終えたところで安心し、次行こう。となってしまうのである。出てこないのが誰かはいわないでおくけれども。

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ゼンマイ式柱時計を久しぶりに使いだした。音を数えて時間が判るので、母には好評である。二本の金属棒を叩く仕組みだが、二本の音がブレンドされ良い音がする。ただ少々大きいので、テープを貼って消音化している。駆動用のゼンマイと鐘即き用のゼンマイは別で、鐘即き用は息も絶え々の、事切れる寸前くらいの音がゆるく、音色も良く感じられるのであまり巻かないようにしている。 これには思い出がある。銀座青木画廊に柱時計に入った夢野久作を出品した時のこと。初日に張り切ってねじを巻き過ぎ、元気一杯でカンカンカンと忙しなく喧しく、ドグラマグラとは程遠いことになってしまった。今思えば振り子を外してしばらく放っておけばゼンマイを緩ませることは出来たわけであった。 この時は経験を踏まえ緩くした。

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展示できる状態になかったエドガー・アラン・ポー、伊集院静、向田邦子、坂本龍馬、手塚治虫、を平行して作っているが、そろそろ見切りをつけないと、中途半端のまま間に合わないということになりかねない。次に早世の天才、詩人であり画家の村山槐多を選ぶ。槐多は学校を出て、岐阜の山奥の製陶工場に勤めていたときに知った。周囲に20代の人間は皆無という環境であり、田んぼの間を2キロ歩いて毎晩飲みにいっていた。自覚はなかったが、寂しかったのだろう。もっともそれは人寂しいなんて話ではなく、自分の進むべき道が見えない寂しさであった。肺病病みの詩人の物語は沁みた。 槐多は死の直前、病の快癒を願い房総を旅する。海岸を歩きながら胸に一杯の陽光を受けたことだろう。そんなポーズにしよう。そしてフンドシにはあの文字を入れよう。臨海学校だかの写真の槐多はフンドシにアルファベットで“メランコリー”と書いている。

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デザイナーから個展のチラシ案が送られてきた。表面は気球にぶら下がった乱歩である。初出版の『乱歩 夜の夢こそまこと』(絶版)の表紙にもなっているし、またか、と思われる向きもあるかと思うが、またかと思われる程知られていないので良いだろう。この時は背景の空を自分で描いて、なのに自然光で撮影する、というややこしいことをやっている。当然空を背景に撮ってもみたが、人工的な嘘くささが乱歩らしくてこちらを選んだ。コロンビア・トップが気球にぶら下がっている、と思われかねないので江戸川乱歩と入れて欲しいと伝える。なにしろ種村季弘氏に生前見ていただいた時、「これ誰?」といわれている。街行く人に判らなくて当然である。 裏を見ると、“地元、深川で活躍する”と書かれている。活躍などしていないが耐えることにする。関連イベントが、単に朗読ライブとしていたのが『朗読、音楽、スライドで味わう 乱歩と鏡花』になっていた。こちらに変更することに。後2、3の修正後にアップしたいところである。

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私が長い間、ジャズやブルースの黒人ミュージシャン(たまに作りたくなるボクサー)を作っていたことを知っている人は少ないだろう。ジョン・コルトレーンやカウント・ベイシー、バド・パウエルなど、写真が腐るほど残されている。それをわざわざ人形作って撮影してもせいぜい演奏風景を作るくらいで、発展性もない。それなら作り物でないとできない作品を、と作家シリーズに転向した。 一方例えばエリック・クラプトンや、ストーンズなどもレパートリーとしたロバート・ジョンソンは、十字路で悪魔と取引したという伝説が残っているが、本人の写真がようやく数枚発見されたくらいで、実際に悪魔と取引したわけではないので、創作の甲斐があった。どういう訳か何事か企んでいる面持ちになっている。もう一人、右側の盲目のブラインドレモン・ジェファーソンは、はすに向いた写真がⅠカットしか残されていない。言い伝えではブリキのカップをギターにぶら下げ、いくら投げ込まれたか音でわかったという。この人物も創作の仕様があった。できればこんな人達も拡大してみたい。

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写る部分しか作っていなかった作品を、大まかに作っては乾燥させているが、タイムリミットと相談しながら、できるだけ出品点数を増やして行きたいと考えている。写真は展示するが人形は展示しない、またその逆の作品もある。『三島由紀夫へのオマージュ 男の死』では人形も展示したが、この作品など、背景がないと人形も面白くなかった。写真作品が前提でイメージしてしまうのでそういうことになる。友人に作ってもらった刀を取り上げ、最新作の三島に持たせた。この作品は“感心されるくらいなら呆れられた方がマシ”という私にとって大伸ばしには最適な作品であるが、深川江戸資料館は昔の深川を再現した家屋を常設展示している。ゴールデンウイークのさなか、家族連れの良い子も入ってくるだろう。展示できないくらいなら、事前に担当者と相談してみたほうが良さそうである。あらためて見ると雑巾を絞ったかのような出血量であるが、三島はその方が喜ぶに決まっているのである。制作時、そこら中を血だらけにして面白がっていた。

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神奈川近代文学館より5月の漱石展のチラシが届く。おなじみのポートレイトが使用されていた。私が江戸東京博の漱石展のポスターを見て鼻筋の修正を疑った写真である。中学生の時、プラモデルの『メッサーシュミットMe262』をパテを使って日本海軍機『橘花』に改造しようとして失敗したのを思い出したくらいだが(わかりにくい)撮影者はたぶん野島康三の弟子で、腕は一流だったろう、しかし後世大きく引き伸ばされ、ポスターとなって町に張り出されるとは思ってもいなかったに違いない。 ところで昨日、大伸ばしする予定のカットをテストプリントしたところ、私の行った、ひどい修正跡が露見した。拙著の表紙にも使用した澁澤龍彦である。当時は写真の粒子について無頓着であり、パイプの煙を加工したついでに色々しでかしてしまっていた。普通であれば気がつかないが、巨大になったとき、その修正跡は赤面物であった。

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私が初めてバレエを観た時、筋肉モリモリの男性が女性的な雰囲気満載で薔薇の花びらの着いた奇妙な衣装で踊っていた。なんだこれは?どうやら ニジンスキーというダンサー由来のものらしい、と鈴木晶さんの著作をむさぼり読み、そこに掲載されていた異様に太い太腿の男の写真に魅了された。そして翌年個展をする、という暴挙に出てしまった。しかも御丁寧にオイルプリントによる個展であった。 後に九代目市川團十郎で同じような経験をした。ニジンスキーは異様なジャンプ力で窓外に消えて行くが、そのまま空中に飛んでいくように見えた。ジャンプの頂点で消えるのでそのように見えたらしい。九代目團十郎は実際は華奢な身体だが、舞台からはみ出るように見えた、と当時の目撃談が残っている。いずれも芸の力で物理を超えたイメージを観客に与えたのであろう。 千代の富士は小さいのに巨漢力士を受け止めていたのが不思議に見えたものだが、前マワシを怪力で引きつける、という“芸”がそうさせていた。 薔薇の精に扮したニジンスキーとデイアギレフである。これも縦が2メートル以上になる予定である。

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そろそろ大伸ばしする作品を決めなくてはならない。特撮監督の円谷英二だからこそ、勝ちどき橋に絡む大蛸を大きくするのは良いだろう、とラインナップに加える。実景をスタジオ内のミニチュアに見立てたわけだが、それをまた大きくする事により、違って見えるかもしれない。蛸の下をかいくぐろうと、自転車に乗った命知らずも見える。怪獣映画には冒頭怪獣に殺される、こういったおっちょこちょいがつきものである。 雪降る日、質屋から出て来た樋口一葉。これを大きくしたってしょうがないだろう。といっているうち、雪降る日、質屋から出て来た樋口一葉だから大きくしてみよう、と変わった。シミジミとした場面を大きくしてどう見えるか。私自身、やってみないと判らない。いや、やってみたけど判らない。作業中で広々と広げるスペースがない。ロール紙の巻き癖があるし、下手に広げて傷付けてもいけない。そっと広げてまじかで部分を見るにとどまっている。 一葉が持つ番傘。粘土で作ったが、拡大するとお粗末なので本物に変えた。

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拡大する作品を一つ思いついた。永井荷風が浅草のストリップ劇場通いしたのは有名である。人嫌いの荷風が踊り子に囲まれ笑顔を見せている。踊り子は荷風を知らず、たんに写真好きの老人だと思って接していたようだが、文化勲章受賞後は、扱いも違ってしまったのだろう、次第に脚が遠のいた。 そこで舞台の袖で踊り子を眺める荷風先生の図である。当時はパソコンなど蛇蝎の如き扱いであり、もちろん合成などしていない。私の撮影は、ファインダーの中さえイメージ通りであれば良い、というわけで、端から見ると奇妙な撮影風景であることが多かったが、この作品など最たるものであろう。HPには書いてあるのでいってしまうが、ストリップ嬢の足下30センチに荷風をただ置いているだけである。そこで脚上げをくり返してもらった。画面からすると荷風は小さいので拡大するのも良いだろう、ということもあるが、なんといっても踊り子の太ももが人の胴体くらいになるのが愉快である。 ところで、中学のときに観た『卒業』のこのカットの影響があるような気がするのだが。

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ドストエフスキーはどういうわけか口を半開きにしているポートレイトが多い。それではホコリが入る、と親にいわれなかったのだろうか。私はいわれた。髭も実際は密度もなくポヤポヤである。これは粘土ではどうしようもない。私が作った像も実は口を開いていたのだが、鼻の下の髭が陰となってそう見えない。口を閉じることにした。 松尾芭蕉を作った時、勝手な芭蕉像ばかりだ、と弟子達の描いた肖像画にこだわったが、実は私より年下のくせに、枯れ木のような老人像ばかりで頭に来ていた訳で、ドストエフスキーは過去の肖像画家がそうしたように文豪然とさせることにした。 ところでドストエフスキーの肖像画といえば、世界的にもっとも有名なのがこの画であろう。ところが困ったことに、私にはどうしてもドストエフスキーに見えないのである。制作時、これだけリアルに描かれているのだから参考にしたいところであったが、まったくできなかった。どこからか髭生やした農民連れてきて座らせたようで、未だに別人に見える。耳小さいし。

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深川江戸資料館の個展関連イベント5月6日の朗読ライブ。第1部の乱歩作品は、2006年に世田谷文学館でおこなった再演ということになる。その時は4作品を2部に分けたが、今回は2部の泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』と1時間づつ。合わせておよそ2時間を予定している。となると何をカットするかだが、手首を喪ったピアニストの話『指』は世田谷文学館を医院に見立て、ピアノの嶋津さんにピアニストを、医者を副館長、アルバイトの女の子に看護士役をやってもらった。その日限定の作品であったが、人形も出てこないし会場に合わない可能性もありカット。残る『屋根裏の散歩者』『白昼夢』『人間椅子』だが1時間をオーバーしてしまう。2作品にしてゆったりやるべきか、構成もお願いしている朗読の田中完さんとピアノの嶋津健一さんに相談したところ、約6分間分を構成し直し、3作品でいくことになった。3月10日より予約受付。

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