明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝起きて、昨日作った牡丹灯籠を観る。なかなか派手である。直径40センチほどの牡丹の花の集合体に取っ手が付いている。私が作ったわりに可愛いのではないか?中にライトを仕込んで、牡丹の中心から透けて見える予定であるが、これはやってみないと判らない。 圓朝師匠、いつまで待たすのだ、としびれを切らしているのが伝わって来る。鬼火を描いた墨汁を頭に塗ってみたら反射の感じが髪の毛っぽい。髪の着彩には昔から苦労をしている。鉛筆を使ったりいろいろ試した。見た目よくても撮影してみるとダメだったり、その逆だったり。以後髪は墨汁にしよう、と思ったくらいである。ところが調子に乗って黒紋付にも塗ったらこれが艶もありすぎたが、黒に見えない。 昔、喪服を買いに行った時のことを思い出した。なんだっていいや、と一番安いのを観たら、横のもう少し高いのと比べると、黒というより銀色がかった灰色に見える。香典袋の筆ペンの如し。次のだって、もっと高いのと比べれば灰色である。比べなければ気が付かないものを。これを観てしまうと、予定の一番安い灰色は買えないようになっている。 撮影用器材の入金が土、日と出来なかったので、撮影は来週の中頃になるだろう。

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朝から造花の牡丹を周りに散らばらせ、灯籠本体に貼付けて行く。子供の頃、お隣のおばちゃんの内職を邪魔してはよく叱られたのを懐かしく思い出した。中にしこむ電球と、下に垂れ下がるヒラヒラしたもの以外は完成した。昔の挿絵では、大きな牡丹一輪がそのまま提灯状になっているようだが、もう少し派手になるよう大小の牡丹十数個に覆われた灯籠となった。牡丹灯籠は中国の話に発想して圓朝が創作した作品だが、この造花はメイドインチャイナで、中国のおばちゃんが造花を段ボールに詰め込んでいる所を想像した。 この牡丹灯籠に早く明りを灯してみたい。お露、お米に持たせて新三郎のもとに通わせるのは勿論だが、効果的な場面で空中を浮遊させてみたい。 昨日、展示予定場所の担当者とたまたま会ったので、圓朝の背景に、開くと1メーター超の金屏風を立てるので、スペースのことと照明をできるだけ落とせるよう希望を伝えた。ギャラリーや展示会場を含め、案外これがなかなかできない。

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そのスペース





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一日  


数ヶ月ぶりに麻布十番の田村写真へ。保管してくれていたモノクロプリントが売れたということでサインをしに。このジャズ・ブルースシリーズは人形と同時に写真を始めて発表した1996年当時の作品で、撮影期間は2か月そこそこで、ジャズ・ブルースシリーズの最後の個展となり、翌年に作家・文士シリーズに転向した。 伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンである。本人の実写は3カットしか残っていない。人形の顔は帽子の下5センチくらいしかない。モノクロプリントも珍しくなりつつあるが、廃盤になったコダックのエクタルアというペーパー自体が貴重で、改めてみていくらかグリーンがかったように見える画面に惚れ々する。これがなくなり、私はモノクロプリントへの興味が急激に失せた。作品の購入者は、つい最近、2本のドラマで観ていた役者さんで、そこまでやるの?とその役者魂に感心したばかりだったので驚いた。 本日田村写真におじゃました用件はもう一つ。私は立体作品を作っているわけだが、ここ数年浮世絵、日本画に興味が行っている。立体作品と平面的な日本画、矛盾しているような両者を融合させることが出来ないか。頭の中で堂々巡りしていた。日本画のように立体の印影を消せばいいか、というと。ことはそんな単純ではない。何ヶ月も前に田村さんに相談していたのだが、急遽田村さんのアイデアを従業員のFさんで実験。 圓朝師匠、あんたをずっと待たせてるのはこの方法がみつからなかったからなのだよ。さすが盟友田村さんは物の見え方が違う。 


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地球由来の成分でできているわりにゴジラは大き過ぎるのが気に入らない。現代兵器とのバランスのせいでそうなったなら『大魔神』のように過去の話しにすれば良いと思うのだが。『キングコング』を観るのはジェシカ・ラングが出た作品以来である。ネットの予告でコングがタコを食っているのを観て観る気になった。結論からいえば面白かった。70年代の話しなのと本土決戦ではなく、秘境に赴く分、兵器が限られ人間が苦戦するのがいい。やはり人間が踏みつぶされたりかみ殺される場面がないと恐怖感に欠ける。でか過ぎるのは自然災害の怖さである。文句があるとすれば、ヘリコプターが全滅させられるのが馬鹿過ぎるのと、コングのライバルが二本脚で、地球上の生物じみていない所だが。幼稚園の頃父にねだって最初に観た怪獣映画『キングコング対ゴジラ』ではコングの顔の巨大なアップが怖くて父の背中に隠れた。しばらくは何処へ隠れてもコングと目が合ってしまう怖い夢を見た。そんなことを思い出したが、数年後、ゴジラががシェーをやるという失態を犯す頃には怪獣が人間サイズに見え出した。思えば短い時間だった。しかし本日はひと巡りして怪獣初体験を思い出させてくれた。 長いエンドロールを観ながらこれから帰って作るかな、などと思っていたら。えっ?どうやら今後、シェーなどなかった別世界を見せてくれそうで期待。その時はジェシカ・ラングなんてもんじゃなく、水野久美クラスを頼むぜ。

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うちの猛犬がショートステイにでかけた。87になって毎日鳥の唐揚げとチョコレートを食い続けるせいか一時ゲッソリしていたのが日々ふくぶくしくなっていた。“全盛時”は80キロ超級であったが、上半身が提灯をすぼめたように縮んだ。私はそのまま月1の定期検診へ行くと、猛犬に吠えられられ続けただけで4キロ減っていた。最も、私くらいの階級になるとくしゃみしたくらいでそのくらいは減る。念のため風邪薬も処方してもらう。例によってサイゼリヤにて一人祝杯。最近はダーテーハリーのピストルみたいなワインは避ける。可愛らしい母娘の視線をやり過ごすため『あいついつになったら現れるんだ』。的演技をするのが面倒だからである。足りなければ追加すれば良い。その後木場のヨーカドーのシネマズ109に行き、ウチの猛犬より凄いの観て安らごうと『キングコング髑髏島の巨神』のチケットを入手。ちょっと間があったので明日の回を。ついにシニアチケットを購入したのだが3Dは高いのか、安い感じはせず。予告観ただけで良いとこ悪いとこ散見するが、山中の湖から大蛸を登場させたり、コングと戦わせたタコ好きの円谷英二に対するでオマージュであろう。コングがタコ刺しを食う場面に笑う。私の場合はかろうじて海水混じりの辺りで登場させている。


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そもそもノコギリをまっすぐ扱えないようなぶきっちょが、すべて木で作ろうと思うのが間違いである。真っ直ぐな部分は模型用の角材を使い、後は粘土にボンドを混ぜて強化したもので作ることにした。志ん生の火焔太鼓もバルサ材や発砲スチロール製の撮影用であった。中にしこむ電球を含め、材料を買いに行く。 そういえば思い出すのは、子供の頃、お盆の季節に駄菓子屋で売っていた子供用の提灯である。緑色の棒にピンクや緑など、駄菓子屋で売られているチクロ入り駄菓子と同じような色使いで、中に蠟燭を灯すのが楽しく、それを手に隣近所の大人や子供達と花火をしたものである。ちなみに駄菓子はチクロ入りに限り、知らない世代とは駄菓子の話をする気になれない。というくらい別物である。 同居中の母は内蔵が丈夫で、目が覚めるたびに何か食べている。一時げっそりしていたがほとんど元に戻った。しかし元気だからといって 元気過ぎるのも問題である。私は“現世は夢夜のゆめこそまこと”なんて顔して幽霊に持たせる灯籠を作っている有様だが、独り者の勤め人で、責任ある仕事をしていて、さらに酒を飲めない人は、いったいどうしているのか?まったく想像がつかない。母は明日から月に一度のショートステイである。まだ行ってもいないのに、あまり喜んでも結局帰ってくるんだぞ、とついあまりはしゃがないように、と考えてしまう。 早々に牡丹の造花が届いた。箱を開けたとたん、あの花火の頃、隣のおばちゃんが花に囲まれ内職していた姿が浮んだ。
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風邪は一晩でほぼ治った。 そろそろ牡丹灯籠を作らなければならない。面倒だがこればかりはしかたがない。花に全くといっていいほど興味がない、これはそもそもチリメン細工の牡丹の灯籠が流行したところから始まったらしい。造花のサイトから牡丹を注文してみた。 圓朝の時代の挿絵を観るとキャベツに取手を付けてトイレットペーパーを垂らしたような形状だが、それが次第に映画、芝居化されていくうち、切子型の大きな物に変わって行く。勿論キャベツにトイレットペーパー型に戻す。 怪人二十面相も、サーカス芸人の遠藤平吉が西洋紳士のようになっているのを悪党ヅラに戻した。 他に作るとしたら、中に灯を灯す型の軒先に取り付けられる寄席看板くらいだろうか。もし似たような物があれば撮影して合成にする。それと立ち姿の圓朝をおいおい。

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昨日より咳鼻水が出始め久しぶりの風邪。圓朝の第一作は、あと圓朝を配するだけだったのだが、大事を取って早めに寝た。そして風邪由来と思われる夢をみた。 ここのところ九代目團十郎、圓朝と幕末あたりのことに触れ続けているせいであろう。あの人物を作らなければダメじゃないか。と夢の中の妄想であるから実在した人物ではない。そして現実の私と同様、ああしようこうしようと悩みまくる。小学6年の時に熱を出し、世中に目が覚め上半身を起し部屋中を眺めた。そこに部屋一杯の、昔パン屋がパンを入れてくるっとひねってくれた紙袋を作る機械がないではないか。あれがないと大変なことになってしまう。と追いつめられた。もうちょっとで両親を起すところであったが、そのまま寝てしまった。悪夢という奴だろう。今回は熱が出た訳ではないのでたいしたことはない。目が覚め、そんな人物が存在しないことに気付くまで10秒ほどかかったが。

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背景を1点作る。最初に頭に浮かんだイメージである。日本画や掛け軸はどんな比率か、決まりがあるのか判らないので、とりあえず縦長の背景を用意した。丁度手拭を縦にした感じ。こんな手拭あったら欲しいかもしれない。そこに鬼火を4つ配した。三つくらいでいいかも。あとは圓朝をそこに持って来るだけである。圓朝の完成に時間を掛けた分、何も手を入れずに済むだろう。この圓朝に、いい加減完成させよ、と数ヶ月頭の中で睨まれ続けていた。 今の所写真とはいいがたいが、何かを燃やして撮影しても私のイメーには遠く、筆で描くしかなかった。 九代目市川團十郎を手がけて以来、浮世絵から日本画の独特のリアリズムに関心が向いていた。それまでは浮世絵なんて、ただデフォルメしていて、と思っていたのだが。それを写真にどう生かせるかはよく判らないが、とりあえず日本画家を目指していたがヘタクソで挫折し、写真に転向した人みたいな演技プランでいってみよう。昔のピクトリアリストも人によっては絵画に対するコンプレックスがことさら芸術写真といいつのらせていた部分もあったのではないか? 鬼火は50以上用意してある。いずれお露、お米の周辺に漂う予定である。



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夜中に風が強く、ベランダでなんの音だがコツコツと足音のような音がずっとしていた。カランコロンでなくて良かったが、『帝都物語』の板東玉三郎が演じた泉鏡花が夢に出て来た。私は玉三郎に、圓朝のことを盛んに訪ねていた。圓朝は鏡花より大分年上だが、鏑木清方をはさんで交流があってもおかしくはない。 圓朝は残された写真が少ない分、イメージを固めるために文献を読みあさった。いつもすることだが、今まででもっとも読んだろう。写真には表現されていない佇まいのような物を醸し出すためには必要であった。当時の写真はじっとしていなければならず、たとえ潤沢に残っていてもなかなかそこまで読み取るのは難しい。それは九代目團十郎で思い知った。結局参考になるのは外面の形状のみである。形状のみ写すだけでは意味がない、というのをつくづく思い知らされたのは鏑木清方作の圓朝像であった。 古今亭志ん生の顔は知ってるけど、圓朝といわれてもなあ。という意見が周囲から。

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羽織の紐と紋付の紋と座布団の着彩を残しようやく三遊亭円朝ほぼ完成。随分前に完成していたはずだったが、色々迷ったあげくちょっと変化した。あそこで完成にしなくて良かった、といいたい。粘って結果が悪かったことは数えるほどしかない。 圓朝像を見ながらユーチューブで様々な圓朝物を聞き比べているが、ヤフオクでCDを検索すると六代目三遊亭圓生や桂歌丸のCDが多い。歌丸は現在でも酸素ボンベを傍らに、高座に上がり続けているようだが、一時師匠であった古今亭今輔は、お婆さん物が記憶にあるが、一時師事した三遊亭圓右は圓朝の弟子で名人といわれ、圓朝の最晩年には自分より上手い、といっていたそうで、二代目圓朝を病床で継いだが、高座に上がることなく亡くなっている。そう考えると明治というのは遠いようで近く、近いようで遠いところが面白い。確か中学生の時に明治100年が話題になったのではなかったか。 背景の金屏風、欅製の高座、火鉢、鉄瓶が揃った。後は扇子と湯飲み。そして肝心の燭台だが、模型用の小さなLED電球を注文した。それが蠟燭の炎ということになる。写真作品用には当然実物の燭台に和蠟燭を使う。

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圓朝の彩色が途中で止まってしまったのは、以前ブログで触れたが、ある部分にデイテール不足を感じて加えた。今までそこはそうしなかった。そうしたら、なんでここをもう少しこうしない?とバランスを欠いた気がした。はたから観て判るようなことではなく、作っている私の問題である。こうやって微細な単位で変化し続けて来た。 子供の頃から写生が嫌いで黒人の作品を作っていた当時、楽器以外は想像で作っていた。自分の記憶のみで作るので、当然事実とは違うが、そう勘違いするには理由があると考え、かたくなに事実を観察しなかった。知ってしまったら、もう出て行かないだろう。私の個性が失われる、デッサンなど数える程しかやったことがない独学者ゆえ大きな勘違いをしていた。 黒人シリーズの最後の個展は、家庭の事情で最後の個展になる可能性があり、だったら実在したミュージシャンを中心に作り、それを写真に撮ってみようと思った。実在した人を写真を観ながら作れば情報として事実が入って来てしまうが、最後かもしれないのでもういいや。という訳である。 結局翌年作家シリーズに転向し、以来、写真を参考に、また疑いながら続けている。先日友人に、最近はお前みたいに独学で勝手な物を作っているのも“アウトサイダーアート”というんだ、といわれた。以前は頭のユニークな人が作った物を指したはずだが。なんでもいいけど。

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描いてみて判ったが、私がイメージしていたのはヒトダマというより鬼火に近いかもしれない。中心に球上の物があって尾をひいて燃えているという感じではなく、ポッと中空に現れた火という感じを出したかった。勿論筆で描こうというのだからリアルな炎ではない。 筆のかすれは効果的だと思っていたが、ただ炎の滑らかさを損なうだけであった、筆にまかせて描いた最初の一筆が決め手になる。クロッキー帳1Pに7から8個。8割程に描いて中から50数個選び複写しデータ化した。最初の頃は1Pに使えて2個だったが最後の方はほとんど採用となった。やれば上手くなるものである。最終的にアウトラインを滑らかにした物が圓朝やお露、お米の周辺に浮ぶ予定である。それぞれ撮影、配置後に、合わなければまた描けば良い。そのままでいくか重ねるか、色はどうするかは未定である。


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ヒトダマ専用に買った筆(純羊)だが、以前よりましだが難しい。これを二つ三つと重ねて雰囲気を出す予定だが、これが思った通りになるかどうかはやってみなければ判らない。白色ではなく色を着けるとしたら何色が良いか。彫Sから自分に入れる狐火の色を相談された時、なんて答えたか携帯を調べる。先日昔、祐天寺で二つのヒトダマを見た、という話しを聞いたが、黒い煙まで見えたという。ヒトダマが律儀に燃焼してます。といわんばかりに煤が出る物かは大いに疑問ではあるが。 篆刻の本を読んでいたら、本来、書道作品などは、作品毎に、それぞれに合ったハンコを作ると書いてあって驚いたが、これは昔始めて彫った石があまりに硬すぎたためで、別の石でやってみたらコリコリと楽に刻めた、なるほどこれならそれほど時間はかからず作品毎も可能だろう。 篆刻の世界も歴史がある分約束事が多い。しかし多い割に。やりたければかまわない、というところもある。私の場合は肖像を描く訳だが、邪魔じゃなければ、右上に描いた人物の名を入れるというのはどうだろう。

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