明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



話に聞く子育てと大分趣が違うと思ったであろう母は、父が脱サラし、共働きとなって、さらに子供に手が及ばないことにコンプレックスを生じたろうし、気苦労も増え、その分厳しくもなり、おかげでチック症になった私だが、今に至れば母には感謝している。母は意識していなかったろうが、結果的に私に“外側の世界に興味ないような顔をしていてはいけない”と伝えた。このままでは苦労する、という親心だったろう。おかげで人間関係で失敗することはなかったが、代わりに、役にも立たない物ばかり作ることに、拭いがたい罪悪感を植え付けた。しかし生まれ持った物は如何ともし難く、多少の罪悪感は、個展会場で恥ずかしそうに“こんな物作ってしまってすいません”と恥ずかしそうにしている程度で済んでいる。 さすがの母の予見は的中し、結局は外の世界にレンズを向けず、眉間にレンズを向ける念写が理想だ、と言い出す始末、人間も草木と同じ自然物、すでに全てが備わっているはずだから、ただヘソ下三寸辺りの声に耳を澄ませていれば良い。と常に思ってきた。これすなわち、私が禅画のモチーフに惹かれる理由であり、私という人間には向いている、ということであろう。



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寒山拾得図というと、国立博物館収蔵の織田信長旧蔵の道釈人物画で知られる顔輝作が一番だろう。あくまで伝であり顔輝作ではない、という説もあるらしいが、名品であることは間違いない。例のアルカイックスマイルではあるが、グロテスクが過ぎず、発するものも違う。もう一品、顔輝作品で有名なのが『蝦蟇鉄拐図』である。鉄拐仙人と蝦蟇仙人は、日本でも散々模写され、様々描かれて来た。しかしこの二人が、ペアで描かれた理由が良く判らないらしい。何だそれは?という話しだが、そこがまた禅画のモチーフらしく、そもそも寒山拾得自体が良く判らない話である。どちらかというと何でそうなる?ということにこだわる私だが、これらのモチーフに関しては、私の何かが気にするな、といっているので気にしていない。この歴史ある描き継がれてきたモチーフを制作し、その末席にただ座ってみたい。腹の中では『だけど私のは写真だけど。』と思うだろう。 2月に入ったら豊干を作るといいながら、ああだこうだ腹の調子が、とかいってまだ始めない。今始めると、朝始めて夕方にはそれらしい頭部が出来てしまいそうである。こんな時は避けたい。
 
 


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森がとんでもないことをいってくれた。面白いこといっているつもりなところがもう大バカである。こうなると長生きも良し悪しであろう。 何度か書いたことがあるが、例えば陸上競技辺りで男子記録を女子選手が抜くところを見られるものなら死ぬまでに見てみたい。東京オリンピックマラソンの円谷幸吉の記録は、すでに女子記録は抜いている。その暁にはザマアミロといいたい。私のような渡世で生きる人間のやりにくさも女性蔑視も根っ子は似たようなもの、という思いがある。 国立競技場内、後に迫るヒートリーに「円谷後ろ後ろ!」と応援した私にとってあの時点で円谷は世界の英雄であったが、次のメキシコオリンピック直前に自殺、一転憎さ百倍。川端康成が美しいといった遺書は、私には食い物のことばかり書き連ね、あんな無気味な遺書を知らない。競技場では、歓声で迫るヒートリーに気付かなかったのだろうが、父親の、男は後を振り返るな、という言葉を忠実に守った、という説を聞いて、益々馬鹿野郎だと思った。 つい円谷に八つ当たりしてしまったが、後の日本を予言した三島由紀夫は筋肉で女性は永遠に男に適わないと思い込んでいた。今の女子格闘家の状況は予想出来なかったろう。生前女性に締め落とされでもしていたなら、もう少し多くの作品が読めたかもしれない。その際失禁でもしていたなら、畳の上で死ねたかもしれない。



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核戦争が起こった後の世界や、タイムスリップ、ヤクザ社会をモチーフにして始めて描ける世界がある。そういう意味では、元々私小説嫌いでもあったが、あまりリアルな世界より、江戸川乱歩のように“夜の夢こそまこと”タイプの作家の方がやりようがある。そうなると、寒山拾得など仏教や道教の人物を描いた道釈画の世界は、やりようという意味では、一人の作家がイメージした世界以上であろう。 問題があるとするならば、室町や鎌倉時代に流行ったモチーフを今時、と考えると多少流行遅れの感がしないでもない。しかしそれはこれまでの作家シリーズと大差ない。例えば室生犀星の懐からヌルリと金魚が顔を出しているのは、犀星の『蜜のあはれ』を知らなければ意味判らないし、三島由紀夫が何故唐獅子牡丹の刺青を背負っているかというと、市ヶ谷に向かう車中、みんなで歌ったからであり、それを知らなければ何で?ということになる。今さらそんなことを気にする私ではない。それよりモチーフ、作品の変化すなわち私自身の変化であることが肝腎であろう。



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人形は頭部が出きれば出来たも同然である。なので仮に火事にでもあったら、まず首だけ引っこ抜いて逃げるだろう。昨年制作した北斎、芭蕉、三島、太宰はすでに頭部があったので、最後に頭部を作ったのは室生犀星ということになる。実在した人物の場合年6体ペースだが、架空の人物の場合参考資料が要らない分当然制作時間は短い。しかしここまで来て前のめりになっても良いことはない。わざわざ自分を焦らして、という悪癖もあるが。 作家シリーズの最初の一体は、多分澁澤龍彦だったが、それまで黒人ばかり作っていたから脚を4回くらい切断することになった。最初の豊干禅師が基準になろうから、慌ててはならない。最近腹の調子も悪いし。また一つ歳を取る。



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小学生の頃、子供向けの古事記やギリシャ神話の類いが好きで、学芸会で大国主命が主人公の紙芝居をやったことがある。たしかウンコが出てくる話で、別な時には靴下に角や牙を着け東京コミックショーのように八岐大蛇の人形劇風をやったこともある。それを思い出すと、最近、仙人のことなど考えてるし、何だか、これからやろうとしてることとあまり変わらないような気がしてきた。私の創作の原点である“頭に浮かんだイメージは何処へ消えて行ってしまうんだろう”と丁度思い悩んでいた頃であろう。しかし大人に質問しても無駄だ、ということはすでに知っていた。肝腎なことは誰も教えてくれない。金魚を眺めるか、じっと目を閉じるか。


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描かれた寒山拾得図を始めて観たのは大分前、千葉の美術館の曾我蕭白展だったろう。奇想の絵師といわれるが、まさにそうで、私にもイカレた人物と思えたものだが、ここのところ、寒山拾得以外のモチーフについて思いを巡らせていると、待ち伏せしているかのように必ず、そこに蕭白がいる。無頼の徒ということになっているらしいが、私にはむしろ、真面目をこじらせイカレて見える、もしくはイカレているのではないか。という気がしている。 まずは明日より豊干の頭部を作り始めることになるが“考えるな感じろ”ブルース・リーにいわれるまでもなく、その点だけは何故か知っている私は、このモチーフ制作には向いている。という気が本日する。ジタバタせず金魚をただ眺めていた。おかげで間に合った。



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思った通り下手な頭を使おうとせず、金魚を眺め暮らして待てば海路の日和あり。これでしばらく作らないでいて、久しぶりに粘土を手にしたら、上手くなっていた。という奇妙な現象を期待するだけである。 しかし幼い頃から、写生、デッサンの類いを嫌っていたのに、約三十年、写真を参考に見ながら人物を作り続けた。少々やり過ぎた。これを取り戻すには、寒山拾得ぐらいでないと合わない、とヘソ下三寸辺りの私が判断したのだろう。 水槽内の寒山役の桜東錦、丸い体型の金魚になりがちな転覆病。腹を上に沈んでしまう。三回目の薬浴。プラス塩。塩は浸透圧の関係で、魚が楽になる。転覆病は原因は色々あるようだが、ひっくり返っていても餌にはすぐに気が付いて、体を起こして食べている。バケツに一匹にしていると、どういう訳か体勢も戻り大人しくしている。一週間は絶食を試す。寒山拾得主役の一匹。作り始めたら死ぬ、なんてことは避けたい。



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何故寒山拾得をモチーフに選ぶに至ったか。 繰り返しになるが。北斎の娘お栄を描いたドラマで、北斎が西洋画を眺めながら「見たまんま描いていやがる。」とつぶやいた。私には西洋的リアリズムに対し“西洋人てのは野蛮な、いや野暮な連中だ。見りゃ判ることを、そのまま描いていやがる”と聴こえた。まことを写すという意味の写真という言葉を長年嫌い続け、古いレンズを使ったり、廃れたオイルプリントを甦らせたり、と写真にあらがい続けた理由が、この北斎の一言に集約されている。自分が作った物を被写体にしなければ、写真に手を染めることはなかったろう。 それが今では人形は被写体であり、作品の最終形態が写真となっている。それでも何処か喉に小骨が刺さったような心持ちが拭えなかったのはモチーフが実在した人物だったからではないのか?寒山拾得ならヘソ下三寸辺りに居る、もう一人の私も納得だろう。そもそもこいつは私にオイルプリントをやらせておいて、最後に作品をオイルに置き換えて終わるんだろうと長らく思い込ませておいて、“あれはお前が考えた物ではないだろう?”などという。ヘソ下三寸の私よ。そろそろ鎮まって私に“思い付いた”という顔をさせないでくれ。



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何かを取り戻すかのように、前半生で嫌いだった物ばかり食べている私だが、昨晩の鍋には、おでんで唯一嫌いだったちくわぶを入れている有様である。理由は全く判らない。 すでに頭部が制作済みの作家以外には、新たに作家を作ることはおそらくないだろう。その作家シリーズも、大半は高校までに読んだ作品のイメージが元になっており、後は二十歳過ぎに知った作家だが、その多くが明治生まれの作家であった。今は制作のため以外で小説を読むことはない。始業のチャイムが鳴っているのに図書室がら出てこないせいで図書室出禁になったりしていた小学生の頃から高校までは授業中でも読んでいたが、読書から入れ代わるように何かを作ることになっていった。他人の頭に浮かんだイメージより私のイメージへ、ということだろう 作家シリーズが面白かったのは、その作品を読まなければ、頭に浮かぶことがなかったであろうイメージを、それにかこつけ制作出来る面白さであった。“だってそう書いてある” 『寒山拾得』は鷗外を制作した時に読んだのだろう。それが作ってみたいという気が起こった時のことが、未だに思い出せないでいる。なので、いつの間にかチップを埋め込まれ、知らないうちにその気になっているようなところが拭えないでいる。つまり、何だか良く判らないうちに、何かをしたくなり、頭で考えるより、必ずそっちの方が結果が良いので、行き当たりばったりで来たが、その一方で、“何だか判らないけどやらずにおれなかったので、そうしてきました”では馬鹿みたいであり、あくまで考えてこうして来たのだ、という見栄を張りたい部分が消しがたく、来し方について考えてみたが、結局良く判らず。



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