明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ワクチン接種、ファイザー製のせいか、一回目よりさらに何もなく。 もう梅雨が明けたのか?来週にはまず臨済義玄を作りたい。やはり臨済録はとりあえず読まずに行くことに。それまでの作家シリーズでは、読める範囲で様々読み込んだが、今回は、中途半端こそが恐い。”考えるな感じろ“でいきたい。つまり蛇足だけが頼りである。 一千年以上前の人物だが、中国の何だか良く判らない不細工な像以外、未だに臨済宗開祖の立体像は目にしていない。何か理由があるのか。蘇我蛇足作の肖像画を元にしているが、実体が判らずとも一休が讃を書いているし、そのまま行くことこそ面白いと判断。それでも顔面には血管を浮かせ、“喝”の口はさらに広げた。 無呼吸症候群用の器具『スリープメイト10』が届く。名前の可愛らしさに反し、無骨な機械。鼻に当てるチューブのビニール臭さ、酸素マスク状の鼻を覆う器具のキツさ。神経質な人なら眠るどころではないと思うが、その点、私の場合は数分で慣れる。こういう所は自分の性格は助かる。口で息をしないよう抑えこまれ、どういう仕組みか、空気が漏れて出来ないようになっている。結果はすぐに出そうである。

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ワクチン2度目から二日目。今の所、一回目以上に何もなし。朝起きて、やはり眠くて二度寝、起きたら昼。夕方もまた寝ていた。眠気の原因が判ってみると、あれだけ呼吸が止まっていたら、無理はない。四時間も寝ればなんとかなる、という時代が長かった。寝不足なら寝足せば良い、と考えていたが、ここ二ヶ月の眠さは尋常ではなく。元々一度目が覚めると二度寝が出来ないタイプであったが、人生も第三コーナーを曲がった今、色々出てくるのだろう。明日無呼吸用の器具が届くそうだから、それでなんとかなるだろう。そして梅雨明け後、首だけの像を一気に作って行きたい。 考えてみると、首ばかり作って、中々体を作り始めなかったのも、眠気で責任を持てる作業範囲が狭くなって、手のひらに乗る範囲なら、ということだったかもしれない。だったら『慧可断臂図』(えかだんぴず)用の達磨大師の首を先に作っておこうか?何てまたバチが当たりそうなことを。意に反し、段々偉い人を作る事になるのはどうしたことか。まあ群馬の高崎では毎日量産されているから気にすることはない。

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昔、友人数人と、あるテーマで交換日記的な物をやった時のペンネームは不精亭礼二、つまり無精でレイジーというわけだが、子供の頃から家では絵を描いてるか、本を読んでゴロゴロしていた。母が掃き掃除して、寝転がって読んでる私が邪魔になると、本から目を離さないまま、ゴロゴロ回転して移動して母を激怒させていた。子供の頃からの無呼吸症候群か、とつい思ったが、あの頃は外では走り回っていた。 父も休みの日は常にゴロゴロしていたが、後々考えると、心臓が丈夫でなかったせいのようで、結局、拡張性心筋症の手術の後、目を覚まさないまま亡くなった。 本日も大谷のを観てから、ワクチン二回目の接種。五百円のタクシー券が出るので、そのまま江東区文化センターの8×10のグループ展へ。昨年私も参加したが、会場は広い通路なので、密になりようがなく絶好の会場。毎回、大きなフォーマットというだけでなく、実験的試みをする人が多い。明日15日まで。その後人形の首をいくつも持ったまま軽く飲んで帰る。

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ホームラン競争。大谷があんなに疲れるなら、一回戦敗退でかえってよかった。 疲れるといえば、最近の眠気は尋常ではない。朝起きて、朝食を済ませたと思ったら、寝てしまったり、一日中寝てばかりいることもあり、さすがに何か原因があるとしか思えず。本日の定期検診で無呼吸の検査結果が出ていた。平均26秒間止まるそうである。一時間に何回か、また最長何秒かは書かないでおく。横綱大乃国、現芝田山だって引退するはずである。世間の多くはあれで知ったのではないか。私の場合、おそらく長い間の症状だったと思うが、自覚したのはつい最近で、ブログにも臨済義玄の首を作った頃から眠く、と書いていた。当時はうっかり作ってしまったが、会場の端の方にでも、何て書いており、次第に臨済宗の開祖に何という言い草だ、仏罰でも当たっては、と中に納める厨子も用意し、今の所、始めに完成させる予定でいる。 芝田山は二百キロ超えていたにも係わらず、血糖値は基準値以下というふざけたスイーツ親方だが、出がけにエアロバイクが届いた。散歩嫌いの私もせいぜい金魚見ながら漕ぐことにしよう。

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今まで創作のモチーフは、ずっと好きだった物を選んでやって来たが、ここに至り少々勝手が違う。昨年まで知りもしなかった人物やモチーフを手掛けている。いやそれどころか先週まで考えもしなかったりした場合すらある。経験上、理由が良く判らずとも、やらずにおれないことはそれに従うべきである、と信じてはいるものの、今回はそれが甚だしく、他人事のように呆れているくらいである。しかしそれに反して、ラインナップの大半が架空の人物なので、また実在したとしても、昔過ぎて想像で作るしかなかったり、実在したかどうか定かでなかったり、創作の余地がある。そうなると、写真が残っており、事実にこだわり、首だけで一ヶ月以上かけていたのとは一変、首がゴロゴロしている有様で、まだ増やそうとしている。しかしながら、今回のモチーフほど”考えるな感じろ“を炸裂させているモチーフはないし、物心ついてからの我が身の来し方をつくづくと振り返らずにいられないモチーフもない。

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夏に向け、約10体を完成させる用意をする。制作用机を配置換え。の準備。私の悪い所は準備の段階で壁に掛ける掛け軸の変更など考えてしまうことである。遠藤周作はいう”何かをしなければならない時、他のことをせずにいられない人を怠け者という“ 『豊干虎図』『虎渓三笑図』『鉄拐仙人図』のうち二つを仕舞い『琴高仙人図』『蝦蟇仙人図』『慧可断臂図』のうち何れかに架け替える。 これらは制作にあたり、まったく役にも参考にもならないのだが、こんな物が部屋にぶら下がっていると、後戻り出来ない雰囲気にはなる。もっとも私に必要なのは、むしろ抑止効果がある物である。それがあるなら苦労はないのだが。

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禅宗の坊様からしたら、座禅一つしたことがない私は笑止千万であろう。にもかかわらず、人間も草木と同じ自然物だから、答えはあらかじめ自身に備わっている。そう思うようになり、“外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想”に至った。出無精の言い訳のようではあるが、これでも20代の頃は、情報誌片手に個展会場を回ったものである。それがいつしか他人の作品見て感心している場合ではない。と出無精をこじらせて行き、美術館に最後に出掛けたのはいつだったろうか。コロナ禍以前から、そんな調子だし、散歩嫌いである。 達磨大師は9年、洞窟で壁に向かって座禅を組んでいたため、手足が腐ってなくなったらしいが、粘土はアマゾンが運んでくれるし、食事も今は何とかなりそうである。手さえ動けば良いや、なんて頭の隅にある私だが。最近右膝が痛い。長年の胡座と歩かないせいだろう。特にひねると痛いので、横を向いて寝られない。ドラゴンスクリューだけは受けてはならない。 これから達磨大師を作ろうというのにこれはまずい。仕方がない。エアロバイクを注文した。金魚水槽を眺めながらなら、何とか続くのではないか?

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禅宗は不立文字という考え方故、その分視覚的な芸術的作品が残されているということなのだろう。臨済宗開祖、臨済義玄は、曽我蛇足の描いた凄まじい表情の”喝“に感じ、ただそれだけで作ってしまったが、まあ間違ってはいないだろう。 作家シリーズの時は、写真資料だけでは足らず、伝記、評伝の類を読みまくった。しかし、この千年以上前の人物は、蛇足の肖像画にしても、想像で描いた物だろうし、アプローチの仕方は同じ訳にはいかない。ただせめてどんな人物で、どんな言葉を残した人物なのかぐらい知っておかないと、あまりに無責任という気がしなくもないのだが、だからといって、臨済義玄の言葉を集めた『臨済録』を読むことは“考えるな感じろ”の妨げになりはしないか。という一抹の危険を感じているのである。蛇足の肖像画に感じ、作らずにいられなかった。これが全て、では足りないのであろうか。何て考えながら作り進めている。例によって誰に相談出来る話でもなく、今日も金魚をただ眺めるのであった。

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コロナ禍は、子供の頃に夢想した、王様に石の塔に幽閉され、ここで好きなことだけをしておれ、という機会を良くも悪くも私にもたらせたようである。単なる古典的説話として描くつもりでいた寒山拾得から、禅モチーフに寄って来てしまっているのも、おそらく偶然ではなく、理由があるに違いない。そう思うと自分の外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想という、その遙か昔、頭に浮かんだイメージにこだわりを見せた幼いあの頃から今に至る流れを最近考えないでいられないのも、妙な予感を感じてしまう。 今回どういう訳だか第一作となるであろう臨済義玄像の完成を前に、禅は不立文字というわけで、曽我蛇足の残した肖像画と私のへそ下三寸の判断のみで完成に向かうか、江戸川乱歩作品を読まずして乱歩像の完成はないように、義玄の残した『臨済録』を読むべきか、読まざるべきか。ちょっとしたきっかけで進行方向に変更が起きるものだから、人生も第三コーナーに差し掛かるとうかつなことは出来ない。

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テレビでキングギドラを観て、小学校の学芸会で、八岐大蛇をやったことを思い出せ、とばかりに。龍を作ることになるのか、とグズグズしていたら、『にっぽんの芸能』で尾上 菊之丞が、新作舞踊。これは何という演目?とみたら『八俣の大蛇』。やかましいわ、ほっといてくれ。
6場所出場停止と6カ月の報酬減額50%の懲戒処分を受けた大関朝乃山は処分がキツイという話もあるが、高砂部屋の躾の悪さは第39代横綱前田山由来の物である。そもそも自分で勝手に付けた四股名、前田山英五郎は、腕の治療してくれた前田博士から、といいながら、ヤクザの大親分、大前田英五郎から戴くというとんでもなさであり、その不業績から条件付き、という前代未聞の状態で横綱になった。そして案の定、休場中にかかわらず、来日中のサンフランシスコシールズの試合を観に行き、引退させられる。その自由さから、高見山を入門させ、外国人に門戸を開くことになつたが、その後、朝青龍が同じように引退した。あの時も同じようなことを書いたが、結局、先代の高砂の朝潮がだらしないせいで相変わらずである。相撲は興行だからしようがないところはある。仕方がない。まず柔道の日本人選手の勝者のガッツポーズを禁止するところから始めるのはどうか。

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テレビでキングギドラを観て、小学校の学芸会で、八岐大蛇をやったことを思い出せ、とばかりに。龍を作ることになるのか、とグズグズしていたら、『にっぽんの芸能』で尾上 菊之丞が、新作舞踊。これは何という演目?とみたら『八俣の大蛇』。やかましいわ、ほっといてくれ。
6場所出場停止と6カ月の報酬減額50%の懲戒処分を受けた大関朝乃山は処分がキツイという話もあるが、高砂部屋の躾の悪さは第39代横綱前田山由来の物である。そもそも自分で勝手に付けた四股名、前田山英五郎は、腕の治療してくれた前田博士から、といいながら、ヤクザの大親分、大前田英五郎から戴くというとんでもなさであり、その不業績から条件付き、という前代未聞の状態で横綱になった。そして案の定、休場中にかかわらず、来日中のサンフランシスコシールズの試合を観に行き、引退させられる。その自由さから、高見山を入門させ、外国人に門戸を開くことになつたが、その後、朝青龍が同じように引退した。あの時も同じようなことを書いたが、結局、先代の高砂の朝潮がだらしないせいで相変わらずである。相撲は興行だからしようがないところはある。仕方がない。まず柔道の日本人選手の勝者のガッツポーズを禁止するところから始めるのはどうか。

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最初に完成させるのは、今の所臨済義玄にする予定にしている。中国に、どんな義玄像が残されているのか知りたいところだが、~西暦866年の人で、2016年が臨済禅師1150年だったそうだから、そう気にすることはないだろう。 谷中の全生庵に、三遊亭圓朝像を展示したとき、搬出時に、全生庵が臨済宗の禅寺ということで、いずれ寒山実得を作ります。と口走っていたが、それがまさかの開祖を作ることになるとは。まず義玄にしたのも、いつまで経っても、臍下三寸の声に頭が付いて行けず、何であれやこれやを作るはめになったのか?という思いのまま日々暮らすのも、そろそろいい加減にしないとならない。最初に開祖を作ってしまえば目も覚めるだろう。 ワクチン二度目の友人からメールで、昨夜、猛烈な悪寒がして40.8度の熱が出て嘔吐したそうである。小学生の時、注射や検査は、名前順に並ぶので、ずっと一番か、二番目であった。終わった後、みんなの注視の中、思いっきり痛そうにしてやったのを思い出した。モデルナは副作用が大きいと聞く。 

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多くの日本人同様、大谷翔平に釘付けの毎日である。私は世界レベルにないスポーツには全く興味がなく、プロ野球といえばバッキーが投げた巨人阪神戦を後楽園球場で一度観ただけである。野茂の登場でようやく、という感じだが、大谷の前では巨人の星が地味なマンガに見えてしまう。明日のジョーも井上尚弥の前では貧乏臭い。 毎日全米の砂糖菓子のような称賛を我が事のように浴び、実に良い気分である。それにしても河井寛次郎にいわせれば“ボールが選んだバット バットが待っていたボール”といったところであろう。
被写体から陰影を排除する石塚式ピクトリアリズムは、無背景でも成立するので、例えば竹竿にしやれこうべを掲げた一休は、背景なしでいく。すべての背景に中国の奇岩連なる風景を用意していたらきりがない。もちろん通常の?写真作品のつもりであれば、こんなモチーフは扱わない訳だが。

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風に流され、予定の着地点からずれる、などということはよくあることで、当ブログなど、書き始めから横道にそれ、違うことを書いて終わる、などは茶飯事である。来年の個展に向け制作中であるが『寒山拾得展』が適切といえるのだろうか?昔は中国土産の定番として寒山寺の拓本の寒山拾得は掛け軸として旧家の床の間にぶら下がっていたようで、森鴎外邸にもあったようである。そんな時代ならまだしも。何のことやら判らないだろう。 まだ何も作っていない物を含め、今の所予定しているのは『寒山拾得図』『豊干禅師像』『虎渓三笑図』『一休宗純像』『臨済義玄像』『琴高仙人図』『蝦蟇仙人図』『鉄拐仙人図』『慧可断臂図』さらに私が『龍虎図』を作ることを果たして我慢出来るだろうか? いずれにしても、今年の正月、まだ金魚を眺めながら、何かが降りて来るのただ待っていた私に、このラインナップを突きつけても、半分以上何をいっているのか判らないだろう。

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