明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



制作中の鉄拐仙人を含め全11体、眺めるとフリークショーの団長の心持ちする。だがしかし、頭に巨大な三本脚のガマガエルを乗せたような人物の間に、目を凝らすと開祖、宗祖、禅師など偉人が混ざっている。結果的に、歴史上の名作群の末席に、どさくさに紛れて座ってしまおう、という企みは失敗に終わった。つまり伝統的とは言い難い結果となった。 そう考えると、私としたことが、禅宗の大本たる達磨大師の表情がステレオタイプの域を出ていない。作りながらも思ったが、私が作りたかったのは、大師に相手にされず、気概を示すため、己の左腕を切り落として教えを乞おうとする、後に第二祖となる慧可禅師である、達磨大師に特段、新味を与える面白さ、メリットを感じ図、おなじみのあの顔で良い。雪舟の『慧可断臂図』の達磨大師は、岩壁に向かい、横を向いたまま慧可の気合いに気付いていない様子だが、私の場合は、その直後、慧可の気迫に気が付いて大師が振り向いている。以前書いたが大師が座禅する洞窟以外は一面の雪。その雪は何もないことで白い雪とする予定である。それで行こうと思い付き、翌日の降雪を知りながら撮影しなかった。後悔は後でするものであり、今のところは勝算ありのつもりでいる。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




頭部以外手付かずであった鉄拐仙人ようやく骨組みを。作ろうと何度も思っては他のことをしてしまっていた。それにもしかしたら仙人まで手が回らない恐れもあり躊躇もしていた。首が出来た段階でおおよそ、こちらからこう撮る、と決まっている。口から己の分身を吹師に会いに行くため身体から抜け出して行くのだが、6日経って戻らなかったら、身体を焼くことを弟子に命じ飛んで行った。ところが弟子の母親が危篤になり前日に焼いて帰ってしまう。戻った鉄拐は、傍の脚の悪い乞食の死体に乗り移り蘇る。脚が悪く鉄の杖をついているので鉄拐という。普通はただ持っているだけだが、杖に脚を絡め、義足かのようにするつもりであったが、どちらの脚が悪いか判らず止めた。本当のことはどうでも良い、といいながら、仙人でさえ適当にできない。そこで歌舞伎調の決めたポーズを考えた。一人くらい居てそもそもも良いだろう。これで全11人となった。当初伝統に従い、埃を立てないよう大人しく末席に、なんて殊勝なことを言っていたが、我流、無手勝流の私にそんな席も資格もない。もっとも、資格、免許が必要なことは一切関わらないと決めている私は、相変わらず私らしいとしか言いようのない物になりそうである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、つい自分が何を作るのか以外に関心がない、というようなことをうっかり書いてしまったが、母は治らないなら、せめて正体がバレないように上手くやれ、と私に教え込んだと思う。もちろん具体的にそうは言わなかったが。 亡くなった父は心臓が悪く、何回目かの入院を控え、私に今まで好きなことをやって来たのだから家業を手伝えといった。すると何やらコソコソやっているのを聞きつけた母は、台所から出て来て何を今さら言っている、と父を怒った。朝ドラで借金してまで娘に好きな事をやらせようという母親を見ていてそのことを思い出した。有難いものである。たまたま知り合いが7年も個展をやっていないのだから、と画廊を紹介されたのが2ヶ月前であった。楽器を作るのが嫌で、いざとなればキャンセルをと考えていたが。父の弱り具合を見ると、冗談じゃない、ともいえず、これだけは決まっているのでやらせてくれといった。それにしても7年のうちの2ヶ月である。決めていなかったらどうなっていたか。そして、やれることは全部やってやれ、と初めて写真を展示した。父は無事帰って来たが、のんびりしてはいられない、と翌年作家シリーズに転向した。 あの時の母の気持ちを元気なうちに聞いてみたいが、母は、私が子供の頃、将来とんでもない人間になるのではないか、と憂いていたことは間違いない。あの日の母に私は勝手に感謝しているが、母としては、その挙げ句が、たかだか可愛らしいお人形を作ることに落ち着いたことで、不幸中の幸い、と実はホッとしていたのではないか?と思うのである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一作づつイメージの最終チェックをしている。本日は一休宗純。何順目だろうか。小四でねだって買ってもらった大人向けの『一休禅師』。子供ながら感銘を受けた竹竿にシャレコウベ掲げて正月の京の街を歩き回り〝門松や冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし”の一休がいよいよ目の前に現れる日が近い。その一作のつもりが、ある日、江戸時代の英一蝶の『一休和尚睡臥図』を見てしまった。道端で酔い潰れた一休を軒先の家人だか通りがかりの男が心配そうに見下ろしているのが可笑しい。室町時代の一休に対し江戸時代の一蝶と私、大した違いはない。私が一休を酔い潰すとしたら、と考えたのが、昼間竹竿にシャレコウベで歩き回り、くたびれてムシロをかけてシャレコウベ枕に寝てしまう。という、門松や〜の連作である。風狂の人一休にはこのぐらいのことをしてもらいたい。胸元にはシャレコウベにまとわりついていたカラスが止まっている。出来るだけ堂々と。最前に配したい。傍らには酒が入っていたであろう瓢箪が一つ転がっている。 芸人でもあり島流しにもあった英一蝶のユーモアは実に私好みである。滝に打たれている不動明王が、濡れないよう背中の火焔を傍に下ろしている。今回は我慢したが、これはいつか必ず手掛けたい。酉年の守り本尊は不動明王である。物心つく前に、迷子避けに住所と不動明王が彫られた小さな小判型プレートを首から下げていたのを覚えている。今はなき町名であった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨晩テレビでヒューマニエンス40億年の企みを、観るとはなしに聞いていると、〝マインドワンダリング”という耳慣れない言葉。現在行っている出来事から注意がそれて、自発的な思考を行う現象だそうである。非常に納得した。私はボンヤリ油断している時に限って予期しないイメージが、棚からぼた餅のように降ってくる。それは良いが、唐突なのはなんとかならないか、と常々ブログでいって来たが、まさにこのことである。この現象は考えている時は絶対に起きない。これもとどのつまりは〝考えるな感じろ”に通じていることかもしれない。 そしてその状態を作り出すために考えた策が、水槽の金魚を眺めることであったが、これには確信があった。何で寒山拾得なのかさえ、自分でも良く判らない有様だったが、判らないけどやってみたい。こんなことは必ず結果が良いことは経験上知っている。金魚の効果はというと、結果寒山拾得が無事私の目の前で月を指さしている。 特に今のモチーフに取り掛かって以降、こんなことばかりブログに書いていて、思い込みに一人酔っ払っているように見えているかもしれないが、こんなモチーフを手掛けようなんて人間は、常にこんな調子、と面白がってもらえればそれもいいだろう、と思っていたが。 自分と向かい続ける作品制作は、座禅と似たような効力あるかもしれない。この40年、ヘタな坊様の座禅より間違いなく時間を費やしている。おそらく禅に対し、科学的なアプローチで研究もされているのだろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『虎渓三笑図』の背景の虎渓の山水の遠景は作ることにした。無い物は撮れないのが写真の欠点である。絵画と違い、マコトを写すという、記録性の代わりに不自由である。可能ならば、無い物は作って仕舞えば良く、それでも物足らず、陰影を排除するに至った。もっとも陰影が無いからこそ中国の山並みを作ろうなんて企めた訳である。出来れば、マコトなどには一切関わらず、一カットも撮らずに終わりたい。 多分に日本人的なことだが、作品の出自、成分を理解しないと目に灯りが灯らないのを、2000年前後、オイルプリント発表時に嫌になるほど味わった。おかげで技法公開目的でH Pを立ち上げることにした。そう考えると、陰影を出さないように撮影し、切り抜いて貼り付けるだけ、それ以外に言いようも説明のしようがない手法なのが慶賀の至りである。また単純な分、成否が被写体の出来にかかっている、というの間、私の原点である人形制作を見つめ直すことにもなった。まあ、良いこと尽くめ、のようであるが、私の大リーグボール3号は、その皺寄せが、艶、反射を使わずにどう水を表現すべきなのか、ということに悩まされている。本家大リーグボール3号は非力な選手に打たれるという欠点があったが。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




絵画から作品化した人物は松尾芭蕉、葛飾北斎、一休宗純、臨済義玄の4人だと思う。余談だが、存命中の人物といえば伊集院静氏と吉本興業の大崎現会長だけだろう。 曽我蛇足作の激烈な喝!の表情が面白くて作った。禅宗では不立文字といって言葉や文字では伝わらない、禅画の発達の理由もそれらしい。となると蛇足の義玄を見て、座禅もした事ないのに、その気になってしまった私も、あながちおかしな話ではないのではないか?と度々言い訳している。 当初寒山拾得展なのに、とハジの方にでも、なんて思っていたのだが、事情がわかってくると、失礼しました、と納めるための古い厨子を入手した。それはともかく。 開祖義玄像は、中国の検索エンジンで検索しても少なく、蛇足または息子の二代目蛇足の作がせいぜいである。蛇足作の立体化に続き同じ構図で写真にする。考えたのはそこまでである。しかし原画にない血管を加えたりしていて思い入れが生じて来る。目は充血させたいし。別のカットもとも思うが、義玄の言葉を集めた『臨済録』でも読まないと画面が浮かんでこない。『臨済録』には手を出さないことにしていたが、つい入手してしまった。 今回の個展が終わるまで読まない方が身のためか。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




豊干禅師は阿弥陀如来の化身だというのは私の勘違いで、釈迦如来であった。冷や汗をかく。 よほどのことがない限り、撮るのは縦位置の写真ばかりだが、今回は特に掛け軸ほどではないにしても、縦長画面が似合うだろう。主人公の状況、心理状態など背景に反映させられることを考えると縦長画面がふさわしい。 本来、寒山拾得により聖俗両面表すべきとも思うのだが現在、俗世に背を向け山に住う乞食坊主により聖性を表す、というのは私の能力をも含め難しいと判断。であるならば、文殊、普賢に聖性を担ってもらおうと考えた。展示にさいしては、真ん中に豊干禅師と釈迦如来、左に寒山と文殊菩薩、右に拾得と普賢菩薩。配置には決まりがある。合わせて『三聖図』としたい。釈迦如来もいずれ、と思っていたら入手済みの文殊、普賢とほぼ同サイズの釈迦如来を友人が持っているのが判った。これでたった1カットのために、と愚痴らないで済む。仏像を自分で作る気は今後もない。そもそも私の手垢にまみれたイカれた寒山拾得と、私ではない他人由来の聖性の象徴、そのコントラストが望ましいと考えている。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




石塚式は日本画の模倣が目的ではない。浮世絵、かつての日本画全て受け入れられる訳でもない。肖像画といえば、ほとんど正面でなければ斜め45 度を向いて前方を見ている。蛇足の一休和尚のように、横目でこちらを見ているなどは珍しい。風景となると絵巻に良くある、空中45 度から見下ろしている。浮世絵の時代になると、ヨーロッパ絵画に影響を与えたダイナミックな広角的構図も現れるが、写真発明以降の目から見ると、独特の逆遠近法など、どちらかといえば長焦点レンズ的である。余談だが、64年の東京オリンピック時、陸上競技の直線コースで前後が圧縮され、後ろの選手が大きく見えるのが不思議でならなかった。 『虎渓三笑図』の構図を考える。すでに山々は自分で作る気満々である。どうも楽しそうなので、本物の風景など使う訳にはいかない、とすっかり気が変わっている。あくまで写真である。いくらか広角じみた構図を考える。 山を下りないと決めていたのに話に夢中になり、境界を超えてしまったことに気が付いて笑う3人。境界を越えた、ということで石橋を中景に渡り切った構図を考えているが、多くが橋の真ん中で3人が笑っている作品が多い。石橋をまず撮ってみてだろう。 写らない所は作っていないとはいえ、一カットのために3人も作った。私の予感だと、もう一カットくらい増えるかもしれない。3人も作ったからではなく、山並みを作るのが面白くなって別カットを、となる可能性がある。自分のことは嫌になるほど良く知っている。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ネットによると〝世の中には「起きている時間の50%を空想に充てる」という人も実在します。これまで注意欠陥・多動性障害(ADHD)の症状の一種と扱われてきた空想中毒が実際には独立した精神障害かもしれないという研究結果を、イスラエルの研究チームが新たに報告しています。 空想は大半の人が日常的に行うという普遍的な行為ですが、「空想にふけってしまって日常生活に支障が出ている」という状況は普遍的なものではありません。日常に支障をきたすほど空想にふけってしまう状態には「Maladaptive Daydreaming(不適応空想)」という名称が与えられていますが、今のところ不適応空想は精神障害の一種だとは分類されておらず、ADHD患者が示す過集中の一種という扱われ方をしているとのこと。”  つまらない研究もあるものだが、〝空想にふけってしまって日常生活に支障が出ている”かどうかは、本人が判断することだろう。余計なお世話である。不適応空想は精神障害の一種ではなく過集中の一種?創作行為に励む人は皆そうだろう。 そういえば今でこそ私は動かざること石の塚の如しだが、子供時代は落ち着きがなく、本を読ますか絵を描かせておくしかない、と言われていた。難聴を疑われたのも過集中のせいだろう。始業のチャイムが鳴っても図書室から出て来ず出禁になったし。『虎渓三笑図』は話に夢中になり、決まりを破ったのに気付いて笑う3人の男の様子である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一時期、目に着いたあらゆる物をパーツとして撮って置いて、例えば空や海、道路や屋根や壁や何でも撮り溜め、本気で寝たきりの老後に備えていた。その後ハードディスクの度重なる故障などあり、ほとんど失われたが、今思うと愚かなことであった。その後、浮世絵、かつての日本画の、西洋画や写真にない自由さを取り入れるにはどうすれば良いか、毎度お馴染みの〝孤軍奮闘”していて、陰影がそれを阻害しているのではないか、と思い始めた頃、スーパーからの帰り道、頭の中のイメージに陰影が無いことに気付いて、危うくスーパーの袋を落としそうになった。頭の中では光源まで設定されていない。それまで頭の中のイメージを取り出し、確かに在った、と確認するのが私の創作行為だ、といっていながら、外側の世界に在るかのように光を当てていたことに気付き、ここから一挙に陰影のない手法に向かった。この世の世界でないことは一目瞭然であろう。 この間の〝騒動”は、私の子供の頃からのこだわり、独学我流、マコトを写すという意味の写真という言葉への嫌悪、様々が凝縮されていた。そして自ら作り出した陰影つまり被写体の陰影を取り除く、というアンビバレント、葛藤は、被写体制作、撮影の二刀流の私だけの物であり醍醐味である。その先に在ったのが寒山拾得ということになろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




久しぶりに撮影の仕事で隅田川の向こうへ。ツアーで一度ニューヨークに行った時、オプションツアーのバスガイドから、チャイナタウンから一歩も出ないで生涯を終える人がいると聞き、その狭さにバカじゃないかと呆れたのだが、気が付いたら私がそうなっていた。『虎渓三笑』の高僧慧遠は、山を降りない、と自ら決めたが、二人の客を送って行き、渓谷の橋を越えたことに気づいて笑う。とすると橋を渡り切るべきだと思うのだが、橋の半ばで三人が笑っている作品が多い。もしや、と思って曾我蕭白の三笑図を見てみたら、ちゃんと渡り切って笑っている。案の定蕭白は真面目だ。その真面目をこじらせた挙句のイカれ方だと私は踏んでいるのだが。 隅田川を超えた私は2時間をこえ、乗り換えに迷い苛立った。撮影はというと、あっけなく終わった。クライアントがこれで良い、というのだから良いのだけれど。レンズを選んだりしていて寝不足。帰りは電車が混み殆ど座れず疲労困憊であった。無呼吸症候群用の装置はおそらく外泊のためだろうバックが用意されている。ちょうど良いサイズのカメラバックがなかったので、それにカメラ、レンズを入れて出掛けた、



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




山水図というだけあり山深い風景の水表現をどうするか。蝋燭の火や人魂は筆で描いてこなしたが、滝や小川を筆描きは考えていない。筆で生きた線を引くのは簡単ではないことは、陶芸を齧った経験で知っている。前から考えていた方法があるので、近所の川面で実験してみたい。肝心の山々は雪舟が中国に渡り、きっと「ホントにこうなってんだ!」といったに違いない日本とは違う風景である。ない物は作った方が良いのか。 陶芸家を目指していた学生時代、カメラマン志望の友人と我がアパート、名前は寺山修司と同じ松風荘で良く飲んだが、奴は少々酒癖が悪い。「お前みたいな雑なヤツが良い器など作れる訳がない。」と絡んで来るので売り言葉に買い言葉で「あの娘はお前が可愛いくした訳じゃないし、あの山だってお前が雄大にした訳じゃないだろ、このかっぱらい野郎!」という訳で、後に私は彼の予言の的確さに驚くことになり、写真にまったく興味がなかった私が、まさかの写真展をやるようになるとは。そしてひどいことを口にしたバチが当たったのだろう。自分で被写体を作り、雄大な山まで作るハメに陥いるのか。そもそも冒険登山家を世間はなぜ変態扱いしないのか?0メートル地帯育ちの散歩嫌いが山に登って撮影なんてする訳がない。そもそもあんな景色は日本にないし。遠景はレンズを眉間に向けることに決めた。つまり石膏で作ろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




臨済義玄は、曽我蛇足作の激烈な喝!の表情が面白くて作った。蛇足の一休から義玄を知ったのか、何しろ行き当たりばったりなのですでに定かではなく、いずれブログを読み返すしかないが、寒山拾得展なのに、臨済義玄を作ってしまい、ハジの方にでも、と思っていたが、だんだん事情が判ってきて、失礼しました、とばかりに厨子を入手した。日本で臨済宗といえば栄西で、肖像画から木像、土産ものまでいくらであるが、その大元の開祖義玄は、蛇足作または息子の二代目蛇足の作がせいぜいである。蛇足作の立体化、またそれを写真にする。考えたのはそこまでである。しかし原画にない血管を加えたりしていて思い入れが生じて来る。その言葉を集めた『臨済録』には手を出さないことにしていたが、ラインナップを眺めていて、もしもう一カット撮りたいなら、もう一体といわず、今ある義玄を被写体にする、という条件で『臨済録』を注文してしまった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




男は宿命的にユーモラスな成分を含んでいる。だからといって大きなガマガエルを頭に乗せた蝦蟇仙人作ろうと思うだろうか?思ったから目の前にあるのだろう。蝦蟇仙人は肩や頭に白い三本脚のガマガエルを乗せていることはあるが、こんなデカイのは見たことがない。そもそも蝦蟇仙人がカエル顔している必要はない。途中気付いたが、巨大なガマガエルを頭に乗せたカエル顔の男を作る機会を逃すのは、あまりに惜しい。気付かないフリして制作を続けた。 地球上で今こんな物を作ってるのは私だけだろう。と思う時、甘美な孤独感とともに筑波山のガマの油のような快感物質が溢れだすが、地球上で今こんな、の後に〝バカバカしい”が来ても構わない。むしろ望むところで、それは私の主要な武器といっても過言ではない。さる物質の中毒者は、事程左様に、快楽のためには、なりふりは構わないものである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »