明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝起きると今拓哉さんはサーフィンに出掛けていた。今回誘った友人に通風で酒は飲めないから止めるというので、飲めなくたって良いじゃないか、といったが、並んだ一升瓶の空き瓶を見て来なくて良かったと思った。私は二十代の頃、一年の断酒の後の日本酒で二日酔いをしたが、その一回だけで二酔いをしない。この体質のおかげで、様々反省する機会を失ったまま今に至っている。 サーフィンから帰り、疲れているに関わらず、今さんに朝食を作ってもらう。今回ほとんど米を食わずに終わってしまった。エアコンの効いた部屋でひたすら飲んだだけだが、南房総の肴が、これはここまで来ないと味わえず、それに合う地酒『寿萬亀』が悪いので、我々は全く悪くはないのだと口々に。『カネシチ水産』で昼食後東京へ。車中、明日より一休宗純を作るつもりだったが、気が変わり、無学祖元の喉元に剣を向ける蒙古兵の制作により快楽の延長を計ることに。

 



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寿萬亀3本開いて、それぞれがバラバラ目を覚ます。今さん早速サーフィンに出かけるが、風が強く今一つの様子。和田浦には鯨の解体場がある。タイミングが合えば生の鯨の解体を見学し、その場で生肉を買える。買えるのだが、残念ながら週明けになるとのこと。昼食を『クジラ屋』にて。刺身定食や酢鯨定食など。『黒滝』へ向かう。久しぶりに行くと、広場がすっかり荒れ果て雑草に覆われており、黒滝周辺も洪水の後のように荒れていた。肝心の滝は水量不足で冴えない。人間大の不動明王が打たれるには迫力不足。これはやはり実景など使わず、滝も何も自分で作れ、ということだろうか?実際目にすると、濡れないように下ろした火焔を筆描きした物を使うのは無理を感じる。『高野聖』には使えるだろう。立ち入り禁止な場所もあり、早々に退散。買い物をして戻る。そこへKさん合流。残る楽しみは飲酒しかない。今さんに料理全てお任せし堪能。昨日4人で三本空いたのに一人増えて同じく三本では案の定足りず。今さんKさん真っ暗な中追加の酒。



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俳優の今拓哉さんの、サーフボード積んだ車で南房総の親戚の別荘へ。拙著泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』の背景の主な撮影地で、作中、長面の夏帽子、笛吹の芸人をやってもらったMさんと、河童が隠れていると知らず、マテ貝の穴を〝かっぽじいて”河童に怪我を負わせ恨みを買う原因を作る、旅館の番頭役のTさん。みなさん木場の煮込み屋の名店『河本』の常連で、後書きにも書いたが、七人の侍よろしく、一人づつ七人に出演を依頼したのであった。残念ながら『レ・ミゼラブル』のジャベール役をやるような今拓哉さんには、登場いただく役がなかった。 和田漁港の蕎麦屋『はなうら』で昼食後近所の『魚惣』で鯵刺身を買う。いつもは鯨肉のブロックを買うのだが、まだ入って来ておらず。滞在中に鯨の解体を見学したいところだが。とりあえずサーフィンに行く今さん。何はともあれ房総の酒『寿萬亀』で乾杯。



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南宋時代の中国。元寇(蒙古軍)を恐れて他の僧が避難しているところ無学祖元は一人坐禅していた。そこに蒙古兵が現れ喉元に剣を突き付けられる。しかし動ぜず〝乾坤孤笻(けんこんこきょう)を卓するに地なし、喜び得たり人空法亦空、珍重す大元三尺の剣、電光影裏に春風を斬る”「有り難く大元三尺の剣を受けよう。私は春風である。斬れるものなら斬りなさい。」と唱えると、その姿に感銘を受け、蒙古兵は立ち去った。 頂相彫刻の傑作といわれる像を参考に無学祖元を作ったのはひとえに元寇に剣を向けられ平然としている無学祖元をイメージしたからで、名場面だと思うが、作品化されたものは未見であり、私自身が見てみたい。この辺が『昇龍図』とは違う。当初蒙古兵の顔は、無粋な兵士として作ったが、無学祖元の姿に打たれるからには、それなりの兵士でなければならない。いくらか貫録を加えた。 この後公安2年(1279)北条時宗の招きで無学祖元は来日することになる。

※何でも昔しの坊主は人に斬り付けられた時、電光影裏に春風を斬るとか、何とか洒落(しや)れた事を云(い)ったと云う話だぜ……。『吾輩は猫である』より 夏目漱石は円覚寺にて禅を学んだ。



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〝考えるな感じろ”も良いが、養老孟司がいうように〝人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている”としたら、勝手に浮かんだ物を止めるためには、考えるしかない。去年だか一昨年だか、寒山拾得周辺の制作には、子供の頃を思い出すことが多い、と思ったが、龍なんて作ったら、怪獣好きな小学生に戻るようで、さすがに躊躇した。そして『昇龍図』をやるなら今年だ、と2メートルのプリントにしたら面白いと思ったが、肝心の〝私でないとならない”感が見出せなかった。ただ作りたいから作っているほど、残り時間は多くない。 午後、喫茶店にて元寇(蒙古兵)の全身像のデザインを考える。



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週末に南房総に行き、滝に打たれる不動明王用の滝を撮って来る予定だが、問題は水の扱いである。陰影がないのに、水の反射、輝きがあるのはおかしい。かと言って不動明王の衣は粘土ではなく布を使って、濡れて貼り付いた所が、もう一つの描き所だと考えている。しかし不動明王が、水に濡れないようにかたわらに置いた火焔は筆描きする。つまり本当の滝を使うことは、すなわち、矛盾だらけの中で描くことになる。なので半分以上は流れる滝から岸壁など作った物を使うつもりでいる。こう書いていると、いかにも私らしいばかばかしさだが、これが私だ、というしかない。 それより先日、幼い頃、守り本尊の不動明王と、葛飾区下小松町と、今はなき所番地の彫られた迷子避けの小さなプレートを首からぶら下げていたのを思い出した。私は英一蝶のユーモアに感化され、と思い込んでいるが、私が私としての幕開けに出会ったモチーフで、シナリオ上のパーツとして立ち現れた、なんて考え過ぎだろうか?

 



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一日  


変な時間に寝てしまい、一日空いてしまった。行き当たりばったりなので備忘録のつもりで書いているが、何でこんなことになったんだっけ?と思うことは多いが、過ぎたことは過ぎたことになってしまい。 昨年の『寒山拾得展』昨年?とつい確認してしまうが、中国の道教的モチーフの割合が多かったが、実在した人物から解放され、寒山拾得や、仙人など架空の人物像を作ったが、スタートが架空の黒人ミュージシャンだったので、その面白さを思い出せてくれた。伝統的な既存のキャラクターとは、違うものにはなったろう。ほんとのことはどうでも良い私が、まことを写すという写真を扱うとこうなる。そんな感じだったろうか。今は、それらのラインナップに不足しているものを作り足している。



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そういえば、子供の頃、母の特徴だと思っていたらそうではなかったことがまだあった。出掛ける時になって、ああだこうだ、ガスの元栓だ鍵はどこいった。何をやっている、と父と妹と待たされ呆れていたが、従姉妹がまるで同じことをやってるので、これは母の、ではなく、母方の一族の特徴だったのか、と思って大人になったら、どこの家庭でも皆やっていた。 せっかく出来ていた頭部を竹竿にシャレコウベの一休を完成してからにすれば良いのに、シャレコウべ枕に酔い潰れた一休が見たくて我慢できず。目を粘土でつぶらせてしまい、後の修静が必要となった。それに竹竿の一休が曽我蛇足と同じ方向から撮ることを決めていたので、右側面が雑だった。ようやく修静終わる。いつもそうだが、自分の不手際で面倒なことになったのに、面倒をかけられ、これで私にそれ相応の快楽をもたらさなければ絶対に許さないぜと。ストーリー上も、代表作になってもらわないと困る。



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癇癪  


母のいるホームから、母がベッドから落ちたと連絡が来た。今のホームは同じ敷地内に病院があり、検査の結果、タンコブは出来ているが問題はないそうである。今回のホームは、何かあるとすぐに連絡が来るので、連絡なければ安心である。 幼い頃から、興味がないことに関心を示さず、学校から散々言われて来て、母もしょっちゅう癇癪を起こしていたが、大人になって判ったことは、それは母の特徴ではなく、女性はすべからく癇癪を起こすようである。私が常に他人事のような顔をしているように見えるのが元凶のようであるが、私からすれば、有事の際、2人してジタバタしてどうする?どちらか片方は落ち着いているべきだと考えるのだが。もっともここまで来れば、興味あることしかしなくても、単に仕事熱心に見えるだろう?それに言い訳するのも疲れるし、たいていは火に油である。

 



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小4(66年)『一休禅師』を読んだことが私にとって意味を持つことになったが、子供の頃のことを良く記憶している私でも、何で大人向けの『一休禅師』を母にねだったのか記憶にない。先日書いたように書店の店頭で店のオヤジのいる前で、母が拒否し難いようねだったに違いない。 私の愛読書となった、中井英夫編纂の百科事典もこの書店から届いたし、小5(67年)に立ち読みした『ガロ』のカムイ伝のくノ一の『ハレンチ学園』とレベルの違うエロティシズムに戦慄し、それがきっかけで以後、つげ義春の名作をガロ誌上でずっと読むこととなった。母が隠していた書店の袋に入ったままの、石原慎太郎『スパルタ教育』(69年)は敵に先んじて、母より先に読んでしまった。 家族で縁日に行って、もらった小遣いを使わず、シャッターを半分閉めてる店頭でオヤジと家族を待たせて裸電球の下で本を選んだことを思い出す。明日にすれば良いではないか、と立て籠もり犯のように説得されたが『朝まで待てない』byモップス(67年)な私であった。



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〝門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし”小四で読んだ『一休禅師』で知り、以来、つい先月まで、目出度いけど目出度くない、という初めて聞く言葉が、子供の私にはただ珍しく印象に残っていたと思い込んでいた。ブログで最近、子供の頃に、なんで老人は間も無く死んじゃうのに、平気で買い物したり笑ったりしているんだろう?と不思議に思っていたことを書いたあたりから、生きれば生きるほど、死に近付いて行く、という想いが、私の奥底に張り付いたまま今に至っていることに気が付いた。『寒山拾得展』でこれは作るべきだ、と思ったのも、単なる子供の頃の思い出以上の物があったのだ。と今更ながら気が付いた。 まぁ気が付けば、間に合えば良い。私は死の床で、私はこのために生まれて来た〝Eureka!”となることを目的にすることに決めたのである。一休宗純の頭部を修正しながら。

 



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一休宗純3作目は、役に立たない象徴として堺の町を持って歩いた朱鞘の木剣を持つ一休である。長い物を持ってウロウロするのが好きな人物だが、正装ですでに立たせたので、今回は托鉢姿にするつもりである。ただ竹竿にシャレコウベで一人立つ一休はすでに作った。そこで誰かと交わらせることを考えたのだが、どんな人物を、と考えるうち、いっそのこと胸元も露わな女芸人、夜鷹、女乞食の類いが良いのではないか、と思い付いた。一休は『狂雲集』にあからさまなように、男色女色何でもありで、それを隠そうともせず、七十七にもなって盲目の女芸人と同棲する始末である。女の胸元や脛などで、一休のその辺りの空気を担わせてみたい。風狂味はシャレコウベを枕に酔い潰れさせ済みなので、この3作と、展示用の一休像で一休は〆たい。



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昨日テレビで、ミュージシャン志望だった福山雅治が所属事務所の都合で芝居をやることになり、何も出来なかったのを、緒形拳に〝考えるな感じろ”を教わったといっていた。殆どブルース・リー並の緒形拳である。 今日も人と話していて「考え過ぎだよ。」といったばかりだが、いいながら〝普通はまず頭で考えてから手脚が動くもんだよな”と思った。つまりブルース・リーや緒形拳に教わらないとならないような、そう簡単なことではないのかもしれない。 自分の事は自分が一番良く判っている、と思っていたら、考えたことが全て滑りまくって、陶芸家志望から人形制作に転向してからは考えるのは止めた。頭さえ使わなければ、やりたいことは間断なく、鮫の歯のようにずっと後ろに並んでいる。考えなければならないのは、むしろ何を作らないか、である。友人には「仏像を作るというのは良く聞くけどさ、坊さん作るっていうのは?」そういえばそうだな?いや坊様シリーズを始めた訳じゃない。たまたま流れだよ。私は何でこんな物を作っているのだ?と首を傾げることはしょっちゅうだが、必ず理由がある。流れに逆らってはならない。

 



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自分の中に浮かんだイメージとずっと向き合っていると、多少、擬似面壁坐禅的行為にもなっていたかもしれない。外側の世界にレンズを向けず眉間に当てる念写が理想、と2000年にHP立ち上げた時には書いていた。40周年記念の『寒山拾得』に向かうと、一巡りして子供の頃に戻ったような感覚を覚え、そんなことをブログに良く書くことも多く、母とのことも随分思い出した。〝人間も草木同様自然物、肝心なものは備わっている”と何を根拠にか思い続け、禅的モチーフに至ったのは偶然ではないと思ったりする。 小四の時読んだ大人向け『一休禅師』に少なからず刷り込まれ続けていたことに、先日気付いたばかりである。母は読んだって解るわけない、と止めたことを覚えていた。おそらく私は母が拒否し難いよう書店のオヤジの前でねだったのは間違いない。そうこうして、この調子で行くと、私というものの正体がさらに明らかになり、死の床で〝Eureka!”なんてストーリーを薄々想像している今日この頃である。いずれにしてもシナリオを書いているのは私自身ではなさそうである。



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無学祖元に刃を向ける蒙古兵という場面を作りたいのだが、すでに蒙古兵の頭部は出来ているのでいつでも出来る。この蒸し暑い時に、もう少し盛り上がりたい。そこで、思っていた以上に私に影響を与えていた一休宗純にしようと決めた。竹竿にシャレコウベとシャレコウベを枕に酔い潰れる一休に加えて、権威などこの朱鞘の竹光のように役に立たない、と恐ろしく長い刀を持って歩き回ったという。正装で座り、傍に朱鞘の刀が立て掛けてある作品が残っているが、私は乞食坊主の状態の一休を考えている。それにしても殆どの時間を被写体制作に費やしている。おかげで主役は写真家ではなく被写体だ、と自信を持っていえるが、私に生来的に甚だしく欠けていたのが忍耐力だが、おかげでこんなことをすることになった。つくづく上手く出来きたストーリーである。 ホームの母と面会する、脱水症で入院前は食欲もなく痩せてボンヤリし、これは長くない、とどこかで覚悟したが、いくらかふっくらし、喋るようになってホッとした。必ず今何を作ってるの?と聞く我が母である。



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